【オババ推奨映画8選】市井に生きる人びとが巻き起こす心に響くドラマ。影で号泣できる古典名作映画集
モノクロの古典映画、そう聞いただけで、ちょっと?
まあ、そう感じても仕方ない・・・
単調なカメラワーク、視覚効果もなく、度肝をぬく派手さもない。
確かに、古い映画は見て辛いものがあります。
しかし、古典には古典の良さがあることも事実で、
私たちが、心のどこかに忘れ残した深淵に響くドラマ。
どんな人にも物語があります。
そんな人々の語るにたる尊い物語、心が痛くなる作品を集めてみました。
目次
『道』
1954年公開イタリア映画
監督:フェデリコ・フェリーニ
ジュリエッタ・マシーナ/知恵遅れのジェルソミーナ
サーカスで大道芸をして小銭を稼ぐ、そんな底辺で生きる人たちの話であって、見るのが辛い映画です。当時の貧しさが画面から滲んできます。
もうね、悲しい。
最初から最後までリアリズムで悲しい。
他の言葉が見つからない。
主役のザンパノは傲慢で粗野そのもの、今ならDVで即逮捕のバカ野郎です。
彼は大道芸をすることで日銭を稼いおり、小銭で買った少し知恵遅れの純粋なジェルソミーナを助手にしています。
ピエロ姿で彼女に太鼓を叩かせ、彼が力自慢という大道芸で稼ぎ、食べているのです。
彼らは、無意識のうちに自分に価値がないと思って生きています。
その怒りをザンパノは、ジェルソミーナを事あるごとに殴ることで鬱憤(うっぷん)を晴らします。
ある日、ザンパノのあまりの暴君ぶりにジェルソミーナは逃げ、マットというサーカス芸人に出会う。純粋なジェルソミーナにマットは優しい。
マットは言います。
「美人でもないし、料理もできない。一体君に何ができる?」
「自分でもどうしてこの世界にいるのか分からない」と、ジェルソミーナ。
それに応えてマットは路傍(ろぼう)の石をひろってみせます。
「こんな小石でも何かの役に立っている。それが何の役に立つかは、俺には分からないけど」
名言です。
彼女を追いかけてきたザンパノはマットにからかわれ、
我慢できずにひどい怪我をさせて、警察に逮捕されます。
そうして転がるように、悪い方へ悪い方へと向かっていきます。
ザンバノは結局、マットを撲殺することになり、悲嘆にくれるジェルソミーナは、彼にとってお荷物になるだけでした。
ザンパノに海岸に捨てられたジェルソミーナは、小太鼓をたたきながら、弱って死んでいきます。
傲慢で暴力的なザンパノ。
最後に彼女の死を知り、はじめて涙を流します。
やるせない涙です。救いようのない涙です。
なんとも言えない哀愁と絶望しかない映画です。
ニーノ・ロータの音楽が、心をゆさぶります。
2010年世界フィギュアスケート選手権で高橋大輔さんが、この曲に合わせてフリーの演技をしました。曲選択の、そのセンスの良さに脱帽します。
Nino Rota 映画「道」 La Strada ~ Gelsomina
『鉄道員』
1956年イタリア映画
ニーノ・ロータが音楽を担当した映画、もう一本!
監督:ピエトロ・ジェルミ(イタリアの社会派監督)
エドアルド・ネボラ(息子サンドラ)
イタリアの極貧の家で生まれたサンドロ。
サンドロは父である鉄道機関士アンドレアが誇りでした。
ある日、アンドレアの運転する列車に若者が投身自殺します。
アンドレアはそのショックで赤信号を見落として、列車同士の衝突事故を起こしてしまいます。
不幸が不幸を呼んで、さらに、不幸に落ちていくしかない厳しい現実。
父は左遷され、徐々に酒浸りの日々に。
ある時、父の会社ではストライキが決行され、貧しく食べるものも困ったアンドレアは、生活のためにスト破りをして列車を運行します。
その結果、彼は孤立をふかめ・・・、そして、身体はボロボロになっていきます。
サンドロの父を思う健気さに涙が溢れる映画です。
どうしようもない貧困の悲しみのなかで、なんとか必死で生きている底辺の人々のせつなさ。胸が痛む映画です。
Il Ferroviere(鉄道員)-Carlo Rustichelli
『ローマの休日』
1953年アメリカ映画
主演:オードリー・ヘップパーン(アン王女)
グレゴリー・ペック(新聞記者)
ちと暗すぎる映画ばかり紹介しましたので、ここでお口直しの映画を2本!
かわいい、かわいい、かわいい!!!
もう、ヘップバーンが最高にかわいい!
見開いた大きな瞳。ふっと開いた唇。
もう、なんなんですか、あなた。
妖精ですか、天使ですか、こんなかわいい女性、ほかにいないです。
それ以外に、どんな感想を言えというんですか。
オードリー・ヘッブパーンの出世作です。
物語は王女が部屋を抜け出して、たった1日だけ自由にローマを観光します。
彼女をアン王女だと見破った新聞記者が、スクープをモノにしようと近づき、いつのまにか、王女に身分違いの恋をしてしまいます。
ラストシーン。
スクープを諦めた新聞記者とアン王女が、記者会見の会場で出会う、とても切ないシーン。
本当に素敵な映画です。
で、最後に一言、かわいい!!
『男と女』
1966年公開、フランス映画。
監督:クロード・ルルーシュ
出演:アヌーク・エーメ
ジャン=ルイ・トランティニャン
オードリーは可憐でかわいい。
で対照的な
このアヌーク・エーメは大人で知的で、本当に美しい女性です。
もうね、知的、美しい、上品、どんな言葉をつかってもアヌークの美貌を表現できません。
憧れの女性です。
物語は伴侶をそれぞれ失った男女が、子どもが通う学校で知り合います。
女の職業は映画のスクリプター、男の職業はレーサー。
ふたりは大人の恋に落ちます。
海辺で話す二人の姿は一幅の絵画です。
この映画も音楽が美しく、音楽で感情を語ります。まさにフランス映画の極みです。音楽担当はフランシス・レイ 。
名作です。
あまりに色褪せない名作なので、来年、男と女Ⅲが、新たに公開されます。
『ドクトルジバゴ』
1967年アメリカ・イタリア合作映画
監督:ディビット・リーン
出演:オマー・シャリフ(ジバゴ)
ジュリー・クリスティ(ラーラ)
挿入歌「ラーラのテーマ」の哀愁。
バラライカの奏でる音楽を聞くだけで、ロシアの広大な大地が目に浮かびます。
物語は、19世紀末、両親を失い、親戚の家に引き取られたジバゴの一生を語るものです。
成長したジバゴは医師となり、詩人としての才能も開花させ、優しいトーニャと結婚して、幸せな生活していました。
一方、庶民階級のラーラは上流階級の男に強姦され、彼を銃で怪我をさせてしまいます。ジバゴとラーラの関係は、そこで初めて重なります。
その後、第1次世界大戦がすぎ、二人は運命的な出会いをします。
ジバゴは妻を愛しているにも関わらず、ラーラへの思慕をどうすることもできません。彼は恋に堕(お)ちていたのです。
二人の人生は、いろいろな時間、いろいろな場所で交差して、出会いと別れを繰り返します。
ラストシーン、老人になったジバゴは、ラーラを発見して、彼女を追おうとして心臓発作を起こします。
時代に翻弄され、決して結ばれないせつない愛が、もどかしくも切ない作品です。名作です。
『ブーベの恋人』
1963年 イタリア・フランス映画
監督:ルイジ・コメンチーニ
主演:クラウディア・カルディナーレ/マーラ役
ジョージ・チャキリス/ブーベ役
これも音楽が耳に残る映画です。作曲はカルロ・ルスティッリ
カルト・カッソーラの同名小説を映画化した作品で、ともかく映画音楽がすばらしい。
物語は戦争が終わった後の貧しいイタリアの片田舎から始まります。
田舎娘マーラは、戦争から復員してきたブーベという青年と出会います。
イケメンで、都会的で、危うい雰囲気のブーベに彼女は恋をします。
その後、ブーベは運送屋の仕事をはじめますが、憲兵とのトラブルから彼の息子を殺してしまい、犯罪者になります。
ブーベを愛しながらも失望するマーラ。
彼女の前にはステファノという真面目な男が現れます。
さて、なぜ、女という生き物は時にアホなことをしでかすんでしょうかね。
マーラ、この真面目ないい男を愛さないんです。
こういう女性。いつの世にもいるよね。
ぜ〜〜〜てい、幸せになれない。平凡な幸せとは縁遠い幸薄い女。
でもって、イタリア女、日本的な幸薄さとは迫力的には違います。
最終的に彼女はブーベを選んでしまいます。
昔から、危険な男に惹かれる女性は多く、そして、間違いなくそれは不幸の道になるのにです。
こんな女、わたしゃ、知らんわ! かってにせい!
映画の最終場面、警察に捕まり、車で連れ去られるブーベを追って、マーラは走ります。
ここで哀愁いっぱいのミュージックスタート!
警察に捕まったブーベを追うマーラ。
それを警察車のガラス窓から見るブーベ。感動シーンです。
しかし、私は泣かない。
運命の恋にもてあそばれる危険を、自ら掴んだ不幸じゃないか!
『舞踏会の手帖』
1937年フランス映画
監督:ジュリアン・ディヴィヴィエ
出演:マリー・ベル
フランソワーズ・ロゼー
ヨーロッパの時代背景が面白くってね。
社交界にデビューという、今でいう婚活パーティがあったのです。今も上流階級ではあるのかもしれません。
当時のフランスでは、女性は16歳になると舞踏会にデビューします。
世間に娘を紹介する、主な目的は将来の結婚相手をさがすためです。
いわゆる社交界デビューです。
16歳のクリスティーナも、そんな舞踏会に出ます。それはシャンデリアがきらめく夢の世界でした。
作曲家、政治家、医者、文学などを将来の夢として語る多くのキラキラ輝く若い求婚者たち。そこで踊った10人の男性の名前が、舞踏会の手帖に記されます。
結局、クリスティーヌは家庭の事情で爺さんの金持ち男と結婚します。
つまりね、恋愛ではなく金と結婚したのであって、ま、それは、現代でもありがちなお話なんであります。
夫は若く美しい妻を囲うことで、世間から隠し、孤独な生活を強要します。
妻を奪われたくなかったのです、そして、若くして隠遁(いんとん)生活をしいられた結果、夫は36歳の彼女を残して亡くなります。
身寄りのない彼女は、知り合いもなく、訪ねる相手もいません。
遺産を処分していたクリスティーヌは、その中で舞踏会の手帖を見つけ、若かった頃をなつかしみます。
まだ36歳です。失った青春と、人生をやり直すために、昔、彼女に愛を語った10人の若者を訪ねようと、その所在を夫の秘書に調べさせます。
そして、男たちを一人一人訪ねた彼女は、時の流れの残酷さに驚愕するんです。
美しい詩をささげた男は、彼女の結婚を苦に自殺
キャバレーを経営する男は、夜盗団を操る前科者になっていた
ピアニストを目指した男は神父になり
詩人を志した男は登山家に
政治家を目指した男は女中を後妻にしようしており
医師になった男は狂っていた
昔の男を訪ねた彼女のリアルは、落胆しかありませんでした。
美しい夢は美しいまま記憶に残しておくほうがいいと悟ったなかで
最後に出会ったのは、最も会いたかったジェラール。
彼は彼女の住む古城の対岸に住み、ずっと彼女を思って、すでに死んでいたのです。
なんと申し上げていいんでしょうか
時の流れは残酷なんです、青春のころの美しい思い出は、そのままにしておけって、そういうことですかね。
しっかし、クリスティーヌ。
罪な女です。彼女を思慕して亡くなった男が二人。
今も思う男数名。
なんちゅう話だい。
『7人の侍』
1954年日本映画
日本の誇る名監督:黒澤明作品
日本が世界に誇る名作です。
物語は単純で、戦国時代末期に戦いに敗れ、野盗となった野武士たちが村を襲い、作物を搾取しています。
彼らから村を守ってほしいと、村人が7人の侍に頼み、野盗をやっつけるというストーリーです。
この映画の見所は、この戦場場面であって、ぜったい不利な状況での戦いにあります。
7人の男たちのすさまじい戦い。
勝ち目のない戦闘に勝利する。その過程の壮絶さとリアルさ。
黒澤監督の妥協を許さない迫力ある映像は、のちの語り草です。
戦いが終わり、村は平常に戻り、そして、田植え唄をうたいながら、畑仕事に戻る村人たち。
生き残ったのは、7人の侍のうちのたった3人。
彼らもまた野盗と同じ敗残侍です。
「今度もまた、負け戦だったな」
という、残った侍のセリフが胸に迫ります。
今見ても、まったく見劣りしない迫力ある映像です。
のちにハリウッド映画が『荒野の7人』という映画でパクリ、しばらく、ばっくれていた映画でもあります。今はこれを認めています。
どっかで聞いたような・・・、あの、ライオンキング・・・
7人のプロが弱いものを守るという筋書きは、その後、多くの映画で取り上げられました。
『荒野の7人』は有名ですが、それ以外にも数知れず。
『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』では7人の傭兵であったし。
最近では『マグニフィセント・セブン』(2016年)などがあります。
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いかがでしょうか。
オババが選んだ、泣ける映画8選。
生きることは悲しいですね。