【明智光秀の謎その1】光秀は妻だけを愛していた。NHK大河ドラマ、来年は明智光秀『麒麟がくる』です。
今週のお題「わたしの自由研究」
『大河ドラマで最も人気の高い「戦国時代」をはじめて4Kでフル撮影。
王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟(きりん)。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか・・・』
と、公式発表から抜粋。
脚 本:池端俊策
麒麟にたとえるとは、どんな光秀像を描くおつもりなんでしょうか、NHKさん。
あいにくと、NKH大河ドラマ、これまでほとんど見たことがないんですが、
明智光秀となると話は別です。
光秀については、ちょっと思うところもあって、私流の光秀ってことで書かせてください。
この内容については、個人の考えであり、また妄想もスパイスとして入っています。
どうぞ、その辺り、ご容赦くださって、お読みいただければ、とても嬉しいです。
【妊娠と毒親と結婚】シリーズ。今週はお休みします。申し訳ございません。
異聞:明智光秀の謎
さて、中部地方は戦国時代に多くの著名な武将を生み出しました。
織田信長、羽柴秀吉、徳川家康、そして、美濃国(岐阜県)で生まれた明智光秀・・・
夫にするなら、誰がいい?
あるいは、恋人、上司にするなら?
歴史って、生きていく上で経験値を貯めた人の生き様が見え、ためになって、私、好きなんです。
私、上司なら秀吉。
恋人なら、信長
夫なら、光秀です!
明智光秀が1582年に起こした本能寺の変は、日本史上、もっとも重要な事件の一つでしょう。歴史的転換期になったと考えても、間違いではないと思います。
もし、ということを、歴史を知る上で、つい考えてしまう私ですが、もし信長が本能寺でうたれることがなく、そのまま天下を取っていたらと想像すると、面白いことになりそうです。
信長という男は、未来志向で現実主義、超がつく新しもの好きです。
キリシタンだろうが、何だろうが取り入れることに躊躇(ちゅうちょ)なく、さらに、堺で繁栄した楽市楽座を考えても、自由貿易を推進したのではないかと思います。
歴史上の好きな有名人ランキングで、おそらくトップになるのは信長でしょう。
小説、映画、ドラマ、あらゆる媒体で取り上げられた数も信長を超える人はいないんじゃないか。
最近でも、小栗旬が演じる現代人がタイムトラベルして、いきなり信長になったドラマと映画がありました。
ちなみに数ある小説のなかで、坂口安吾作『信長』が、私は最高傑作だと思っています。この小説内で、信長、ここぞと言う時に使う言葉があります。
「デアルカ」
「そうですか」という代わりに使う「デアルカ」。
これほど人を食った返事はなく、いかにも、信長という男にマッチする言葉で、私、この「デアルカ」に惚れてます。
さて、信長の治世が続いたとすると、鎖国しなかったでしょうし、未来の日本も変わった形になっていたかもしれません。
興味深いところです。
で、今回は信長じゃなく、光秀の話であって、
明智光秀は信長を本能寺で自害させた張本人です。
その結果、裏切りものとして、羽柴秀吉がのし上がるチャンスを作った男でもあります。
ま、日本史上で裏切り者といえば明智光秀が代名詞。
本能寺の変は、彼の悪評ができ上がった瞬間です。言うなれば、イエスを売ったユダのような存在です。
ユダとは「生まれなかったほうが、その者のためにも良かった」とイエスに言わしめた人物。しかし、別の見方をすれば、ユダがイエスを売らなければ彼は神の子にはなれなかった。光秀も、あるいは、そういう存在であったのかもしれません。
光秀という武将は、現存する史料を読み砕くほど、裏切りをする人物とは遠い存在なのです。
歴史が勝者の都合で書き換えられるとすれば、
信長を謀殺した光秀を徹底的な悪者にする必然性が何者かにあった、のではないでしょうか。
敗戦国であった日本が徹底的に戦前の日本を貶めたように、光秀がそうならざるおえなかった理由。
歴然たる事実は、私たちが学校で学ぶのは勝者の歴史観です。
明智光秀の結婚
まずは、彼の結婚感から、いってみます。
ここ、キュンってします。
夫にしたい男、ナンバー1です。
妻の旧姓は妻木煕子(つまきひろこ)。
美貌の女性だったという伝聞が残っています。のちに光秀の間に生まれた三女細川ガラシャが非常に美しかったことから想像しても、美人であったことは間違いなさそうです。
結婚したときの年齢15歳。
光秀と妻煕子との関係は、この時代の社会文化からすれば興味深いというか、あえて逸脱していると記しときます。
煕子は結婚前に天然痘を患い、左ほほが醜いあばた面になってしまいます。
大きなブツブツができる状態、例えば、顔にニキビができて、それが化膿したような状態を想像してみてください。
実家が配慮して、容貌のよく似た妹を光秀のもとに嫁がせたのですが、光秀は、
「家臣から煕子殿が天然痘にかかったという話を聞きました。私は煕子殿を生涯の嫁と思っております。そんなことを気にかける男と思し召されるな。どうか、煕子殿は安心して嫁いできてくだされ」と、妹を実家に帰しています。
むっちゃ、男前。
惚れまんがな!
その上です。結婚後、光秀は側室を取っていません。
現代でも、妻がありながら不倫に走る不届きものがいるのに、この時代、側女(妻以外の女性の相手)、普通でしたから。常識でしたから。
あえて書いておくと男色もごく普通にありました。
妻一筋
もうこれ、戦国時代では稀有のことで、この一事をもってしても、光秀の高潔な性質が垣間みえます。
秀吉なんて、どんだけ浮気したか。
正妻が怒り狂って、信長が仲裁に入った手紙なんてのも残っています。
さて、妻である煕子のほうも光秀を深く愛したようで、数々の逸話が残っております。
女性としての、ありのままの自分を愛してくれる光秀、それは現代でも難しいことです。その上に浮気が普通の時代に浮気しないなんて、どんだけ聖人なんでしょうか。
独断なんですが、光秀はキレイ事に殉じた男だったんじゃないかと思っています。
キレイ事ばかり言っていられない世界で、キレイ事を貫き、裏切り者とされたのが明智光秀という男ではなかったのだろうかと思っています。
本能寺の変
巷間、流布している本能寺の変。
100人ほどの供しか連れず本能寺に滞在していたのが信長です。
対して、謀叛を起こした光秀の軍勢は、1万3000とも1万5000とも伝えられています。光秀は圧倒的な軍勢で信長の寝込みを襲った訳です。
卑怯です。妻への高潔さからは考えられないほど卑怯です。
ところで、この時代を実際に想像することはできますか?
街灯が整い、深夜でも車が走る現代の感覚で戦国時代を捉えると、うっかりすることがあります。想像するのは困難ですが、これほど重要な要素もないと思うのです。
本能寺の変、当日・・・。
夜が明け始めた頃。新月です。
前日は大雨でしたが、その時間は止んでいました。
田畑から蛙の鳴き声も聞こえていたでしょうか。
テレビも街灯も車もない時代に、1万余の軍勢が、いかに静かに行軍したとしても、その騒音が聞こえないわけはないのです。
日が沈めば眠り、明ければ起きる時代の話です。
それでも、信長の寝込みを襲ったといいます。
日が昇りはじめた6月2日午前6時過ぎです。
現代の暦では七月になります。
扇風機も、まして快適なエアコンもない時代、暑苦しく寝苦しい夜であったにちがいありません。
雨は降っていません。
もう一度、念をおします。周囲は今と比べ物にならないくらいの静けさが支配した時代です。
田畑が広がり茅葺屋根の平屋が点在している世界を想像してください。
遠く大文字山や比叡山が地平線を遮るように聳(そび)えてます。
そして、現代人よりも野生的で、聴覚が研ぎ澄まされていたであろう戦国時代の武将を思い浮かべたとき・・・。
1万3000の軍勢の足音に気づき、信長は逃げることができなかったのでしょうか?
合理的な性格の信長です。100人の味方しかいない現状を考えれば、すかさず逃亡する道を選んだでしょう。
更なる疑問は光秀が信長を謀殺した理由にあります。
怨恨説が残っていますが、どれも根拠に乏しく、その理由は今も謎です。
殺人事件で言えば、いわゆる動機がまったく不明なんです。
明日に続く