アメリッシュガーデン改

姑オババと私の物語をブログでつづり、ちいさなガーデンに・・・、な〜〜んて頑張ってます

【明智光秀と信長:2】現代の男女が婚活市場でもとめる普通は、足利義昭がもとめた普通と同根であろうか(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)

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足利義昭明智光秀

 足利義昭が普通と思っていたこと

 

私たちは、その時代の時と空間に閉じ込められて生きている。

 

生まれた場所と環境、その時代の空気を常識とする世界から逃れようもなく、その場で、あがくしか方法を知らない。

 

学校を卒業して会社に就職、そして、結婚し子をなすという・・・

 

これが2019年という時と空間で考える常識であって、せめて普通の生活をと、もがいている人は多い。

そして、なぜか、2019年に、この普通が難かしい。

 

💗婚活市場で女性の望む普通は

自分より身長は高ければよく、年収は普通でよく、年齢は同年齢か年下で清潔感のある容姿、思いやりがあってコミュ力が高い人を望んでいるそうだ。

これは、戦国時代から500年すぎた現代の最低限の普通であって、これを高望みと思ってはいけない。

 

💗一方、男性が望む普通は

年下でと、まず女性の求める普通を最初から蹴散らしている。

その上に、ちょっと可愛く、優しく、思いやりもあって、料理がうまく仕事もできる女性が普通に求める相手だそうだ。

 

時と環境とその場の空気が創り出した普通が、この噛み合わない婚活市場を彩っていると思われ、

それを嘆くべきでしょうか、笑うべきでしょうか・・・

 

さて、足利義昭は将軍職になることを普通と思っていた。そして、彼もあの時代に噛み合わなかったのだ。

 

義昭にとって、将軍職を継ぐことは普通である。

なぜなら、正統な後継者として生まれたのは彼であって他の誰でもなかった。彼は、彼にとっての普通、将軍になるために、もがいた。

そして、1568年に、この普通は難しかった。

 

足利将軍への道

 

余が正統な将軍なのだ。

誰がそれを奪えるのだ。

 

彼は時代の趨勢から、少しズレていることに、まだ気づいていない。

 

「光秀、光秀」

「ここにおりまする」

「ほんまか、ほんまのことなのか」

 

義昭がなにを言っているか、明智光秀はわかっていた。

彼らは京への途上であって、美濃岐阜県にある立正寺に入っていた。

 

朝倉家をあきらめ信長を頼る4ヶ月ほど前、1568年3月に義昭を追放した三好勢は、第14代将軍として、足利義栄を立てていた。

 

「信長はまだ動かないのか」

「もう、そろそろかと」

「あら、役にたつ男か」

「義昭さまの思っている以上に」

武田信玄よりもか」

「そこは、この光秀、ご返答のしようがございませぬ」

「武田めは、なんで、動かへんのや」

「上杉殿との攻防で、身動きが取れぬとのこと」

「悔しいのぉ。信長だけでは心もとあらへん」

 

その信長は、7月に義昭に挨拶したのち、8月に京への道筋にあたる近江の守護代、六角承禎に協力を願っていた。

彼は7日間にわたり、六角と協議したがうまくいかない。

 

説得に失敗した信長は、いったんは自分の領地である岐阜城へ戻る。

 

信長では心もとないという、義昭の言葉はそこから出ていた。

これがもし、誰もが認める戦国武将、武田信玄であったなら、六角も恐れをなしたにちがいない。

 

織田信長・・・

 

京の公家たちも、尾張と美濃を平定したばかりの新参者を小さくみていたのだ。しかし、その後、この誤解を彼らは痛い教訓として見ることになる。

 

ほぼ1ヶ月間に及ぶ暑い夏のあいだ、義昭はじりじりしながら、ただ待っていた。

その苛立ちが、心もとあらへんという言葉に現れた。

 

当時、美濃から京都の道のりは守護代たちが守っていた。さながら、小さな王国を守る王が、岐阜から京都への道に存在したということになる。このひとりが六角であり、彼が持つ中仙道はその要所であった。

 

戦国時代の終焉:観音寺城の戦い

 

9月7日になって、ようよう信長が動いた。

 

桶狭間の戦いでは、3万とも4万とも言われた今川軍に、たった3千騎という少数兵で打ち破った信長。

 

あの戦いから8年・・・

 

尾張、美濃を平定した彼は経済力をつけていた。

経済力すなわち兵力に反映される。戦争は経済、これは今も昔も同じであって、兵を雇うには食べさせるコメも装備も必要となる。

 

そのための金。これがなければ大軍を率いることはできない。

 

田舎侍の長であった信長は、8年のうちに諸国を打ち破り財をも蓄えた。

 

尾張・美濃・北伊勢に加えて、同盟軍として徳川家康浅井長政を味方につけて、総勢5万ともいう圧倒的な軍勢を引き連れて近江に迫ったのだ。

(この時、木下藤吉郎のちの豊臣秀吉は2300の配下をもつ将になっていた。貧しい家からひとり逃亡した秀吉の出世が目覚ましい)

 

対する六角勢は1万ほどの兵力。

しかし、城攻めは守るほうが圧倒的に有利なことは、この時代、誰もがしっている普通である。一説には落城には10倍の勢力がいるという。

 

8月11日、信長軍は琵琶湖近く愛知川の北に軍を張った。

本陣の目と鼻のさきには、川を挟んで敵側の城のひとつ和田山城が見える。その4キロほど先に難攻不落の観音寺城、その先に箕作城があった。

 

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安土城郭資料館にある観音寺城の地形模型

六角承禎は主城である観音寺城に本陣をおき、軍議をしていた。

 

「信長軍は、おおよそ5万」

「5万・・・、か。信長という男にそれほどか」

「は! ここは粘って京からの三好の加勢を待つ作戦が良いかと」

「やつらはどうくると思う」

観音寺城や箕作城は山城でございます。天然の要塞でございますゆえ、落とすのは容易ではありません」

「・・・」

「信長の本陣は和田山城前にあります。まずは正面戦を想定して、そちらに主力軍をおいて奴らを叩き、弱ったところを観音寺城や箕作城から挟み撃ちするのが良策かと。時間稼ぎをするうちに、三好殿が加勢に来ようかと存じます」

 

参謀は地図を広げながら説明した。

 

「殿、この策が良策かと」

 

別のものもそれぞれに賛同した。

 

「よかろう」

「は!」

「いずれにしろ、信長軍など、田舎者の寄せ集めだ。京都守護代の力、目にものを見せようぞ」

「は!」

 

六角側の戦略はまさしく常套の戦いかたであり、戦国時代での常識、普通であった。

 

そして、信長という男は普通ではない。

 

9月12日早朝。

 

早々、信長軍が愛知川を渡って攻めこんできた。信長の戦法は常にスピード勝負であって相手の戦意を削いでいく。

 

「信長軍の一部が、和田城へ兵を進めております」

「うむ」

 

次の伝令が来た。

 

「柴田軍が、こちらの城に向かっております」

「なんと、和田城を抜けたのか」

「物見が申すに、信長を大将に主力は箕作城へ向かっていると」

「ウツケか! ウツケという噂は本当じゃったな。あれは山の上に立つ要塞。そう簡単に落とせる城ではないわ」

 

そして、戦端は最も奥に位置する箕作城からはじまった。

和田山城、観音寺城前に配置された織田軍は動かない。

 

早朝から7時間。

主舞台である箕作城での戦いは続いた。

 

「殿、箕作城を守りきりました。敵兵は崩れたとのこと」

「ぅおほほほほ!」

 

午後5時。

主戦力を箕作城へ向かわせた織田軍は、いったん引いた。

 

「今日は終わったな」

「は! 祝着にございます」

「三好からの連絡はまだか」

「殿、この調子で日が経てば、織田軍も疲弊してきましょうぞ。案ずることはないかと」

「今日は寝る。床の準備を」

「は!」

 

深夜未明、真っ暗な夜であった。

観音寺城の裏に位置する箕作城周辺が、ふいに明るく輝いた。

それを見ていた物見は驚いた。

 

「な、なんだ、あれは」

 

しばらくすると、戦いの音がもれ聞こえ、松明のいぶさる匂いが風にのってくる。

 

「誰か、誰か」

「なんだ」

「箕作城が、あやや、なんだ、あの火は」

「調べよ」

「は!」

 

松明を山腹の50箇所に並べ、夜襲をかけたのは藤吉郎2000の軍勢。

箕作城を守る兵は恐れを抱き、そして、陥落した。

 

箕作城からの知らせを持って、伝令は六角の寝所へ走った。

 

「殿! 殿! 大変でござる」

「何事じゃ」

「箕作城が落ちました」

 

六角は眠気も吹っ飛んで、起きあがった。

 

「昨日、追い払ったのではないのか」

「夜襲です。城が落ちました」

和田山城は」

 

しばらくして、次の伝令が届いた。

 

和田山城の城兵は、箕作城が落ちたと聞き逃げましてございます。和田山城も落ちましてございます」

「な、な、なんと」

「殿」

「ばかな。たった1日で、箕作と和田山の城が、な、な、そ、そそそんな、アホな」

「殿」

「ここは、城で籠城と」

「アホか。この観音寺城は防備が薄い。もちこたえられへんわ」

「では、どうなさると」

 

廊下を走る配下の者の音が聞こえた。

 

「逃げるぞ! いいか逃げる準備をせよ」

 

こうして、わずか1日で守護代六角は敗れた。

 

その後、六角承禎は供をつれて甲賀へと逃亡した。

戦国大名としての一大勢力であった六角家は没落した。あっけない最後であった。

 

桶狭間の勝利が織田信長を世間に示したとすれば、この観音寺城の戦いは、戦国時代として最後の戦いとなった。

この後は、天下布武をうたう信長に対する、他の武将との戦いとなる。

 

時代が音を立て、ぐにゃりと視線を変えた重大な日であった。

 

琵琶湖の三井寺にて

 

六角承禎、敗退。

この一報を信長から受け、足利義昭は喜んだ。

 

「光秀、すぐに出立じゃ」

「は」

 

彼らは、琵琶湖の三井寺で信長と合流した。

 

光秀は信長を探した。

寺の渡り廊下の奥まった場所・・・

 

信長はただ一人、渡り廊下に立ち荒廃した庭を眺めていた。

 

なにを見ているのだろうか。

庭を見ているようで、その目はうつろだ。

空っぽの目で庭の先のなにかを捉えようとしている。

 

「・・・光秀か」

「は!」

「上洛が終えたら、わしに仕えよ」

 

明智光秀はひやりとした。

彼の見る先、そこになにがあるのか。彼は恐れを感じながらも、ともに立ちたいと思った。

 

―――――つづく

 

前回の記事はこちらになります。ご覧いただければ嬉しいです。 

funyada.hatenablog.com

 

 

 ⛰   ⛰   ⛰

 

さて、今日もやっとこどっこい、書き終えた私は京のほうじ茶を飲みながら夕食にいたしますか。

 

「これ、誰か」

「・・・」

 

残念ですが料理するものは私しかいないようです。

家族が箸をもって待っておりまする。

 

*内容には事実を元にしたフィクションが含まれています。

*登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢を書いています。

*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。

参考資料:#『信長公記太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。

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