【背信:前編】優秀な男の世渡り方法を歴史でみる。織田信長殺人事件の真犯人は?NHK大河ドラマ『麒麟がくる』
ずっと、以前、と言っても2ヶ月ほど前の9月はじめのことであって、
ブログを続けていると、なぜか時間感覚がネット速度になり、2ヶ月前でさえ遠い昔です。体内時計というものが、ネットと現実世界では異なって感じるのは私だけでしょうか?
つまり言いたいのは、秀吉が編纂(へんさん)を命じた『惟任退治記』のことで、明智光秀を、こき下ろして書いた内容を興味深いと思っているんです。これは勝者が書き残した歴史です。
それを9月はじめのブログ『明智光秀の謎』で書いたのですが、随分と昔に思えるってことであって・・・、
ええい、ややこしい。
つまり、現在に残っている歴史的資料は、おうおうにして勝者の歴史感で敗者はボロクソに言われることが前提になっています。敗者とは勝者の歴史で見た一方的な事実だなって思ったとき、
あ、これ、もう書いたって。
もうね10年も前みたいに思えるけど、書いてから、まだ2ヶ月ちょっとしか経てないって気づいたわけです。
不思議な感覚なんです。
ブログは実年齢が過ぎるよりも、さらに時間的に早くすぎてる。この感覚は、ブログを3日休んだだけで、1週間ほどすぎた気分になっているのと似ていませんか?
皆さま、たった3日ぶりですが、ものすごくおひさしぶりです。
またまた、明智光秀です。
性懲りもなく続けてます。
今回は、9月はじめに書いた『明智光秀の謎その1〜その5(最終話)』で、妄想した話。信長を殺害したのは光秀ではないという、ほぼほぼフィクション的な想像から、別の観点で信長殺害犯を追ってみようと思います。
時代は、1570年から。
これは『信長公記』などの資料に、明智光秀の名前がよく出るようになる時代です。
前回までは、信長が足利将軍を立て、天下統一に向けてほぼ成功した時代を書きました。そこから彼の快進撃の、あるいは、苦労の連続でさらに戦い続け、破滅への道を進む過程になります。
可哀想な男です。
いえ、誰の人生も、結局のところ可哀想なのでしょうが・・・
だからこそ、人を愛おしく感じるのでしょうか?
光秀と秀吉、仕事で優秀な男への羨望と嫉妬
毛嫌いしていたかもしれない。
信長家臣団のなかでは外様という意味で一緒でも、秀吉は足軽から頭角を現して、昼夜を違わず働いて働いて、命をかけて勝ち取った立場です。
1554年頃に信長の小者として仕え15年、秀吉の前に明智光秀が現れたのは1569年頃のことです。
それまで秀吉ほど出世し、彼ほど信長から信頼を得たものはいなかった。
このふたり、同じ中途採用組でも意味が違います。
ほぼ天下を手中にした時代に採用された男と、泡のように消えるかもしれない地方の弱小大名時代から働いてきた男。
羽柴秀吉こそ、叩き上げの勝者。
そして、織田信長も譜代からの家臣も、ある意味、叩き上げの勝者でありました。
同僚や先輩は秀吉に嫉妬心を持ったでしょうか?
そこが人たらしの異名を持つ秀吉であって・・・
こんなことがありました。
「柴田殿」と、彼は平伏しました。
戦いでは豪快で裏表のない勝家は驚いて、それから、ぷっと吹き出した。
だって、いきなりのスライディング土下座ですから。
「どうした、秀吉」
「苗字を変えたゃあで」
「ほほう」
「ほんで、柴田殿の一字をくだせえとお願えしにきたでなも」
「わしの一字か」
「丹羽長秀殿からも一字いただいて、羽柴としたゃ〜で」
秀吉はにこにこして、顔をあげた。
「ははははは」と柴田は笑う。
「どえりゃあこってすか?」
「たあけが」(訳:馬鹿が)
柴田は目を細めた。
こうして秀吉は『木下』という苗字を『羽柴』に変えたとされています。
悪い気はしないです。人たらしです。
織田家中において、秀吉の出世を妬むものもいたでしょうが、彼のこうした天真爛漫な様子に、みな一様にだまされました。
一方の明智光秀は全く違うタイプです。
秀吉より15年もあとに就職して、それでも、信長が重用したのです。時に秀吉よりも。
光秀は、それを誇るような男でもなく、淡々としてスカしています。
ともかく、隙がない。
頭の回転が早く、武芸も秀で人柄も悪くない。その上に博識な男であったようです。
今でいうなら、エリートでスポーツ万能みたいな?
おまけに、イケメン。
彼を嫌った古参が多い理由、わかります。
秀吉のお株を奪う出世街道まっしぐら
将軍として京都二条城に居場所をおいた足利義昭。
第1次信長包囲網を、それぞれの大名と和議を結ぶことで窮地を脱した信長は、その御所での政務に、丹羽長秀という昔からの重鎮と叩き上げの秀吉、そして、明智光秀を加えたのです。
なぜ、光秀がと誰もが思った。
足利義昭側としてならわかる。
なぜ、織田側として重要な政務にと。
ちなみに、二人の直筆として残っている字を見てください。
この中途採用の二人、性格がまるで違います。
彼らの字をみても、その雰囲気が出ています。
まず、秀吉。
正室である「ねね」に送った手紙です。
ひらがなが多く、おおらかな内容であって、妻への気遣いを書いた内容です。
誤字脱字も多いそうです。
すみません、そう書いてあったの読みました。
私はこの手紙を読めません。
ただ、ひらがなが多く、字の大きさはでたらめで、その内容は「奥さん、大好きだぎゃ」みたいな内容だそうで、彼の愛されキャラがわかります。
「このアホ」って言いながら憎めない人っていますよね。
ちっこくて猿みたいな顔をして、にこにこ笑った顔がいい男。
さて、明智光秀の字ですが、彼が友人の細川藤孝に送った手紙が下記です。
書状の内容は細川家の家臣である有吉という人物の左遷をとりなして、達筆です。
秀吉に比べ、あきらかに漢字が多く文字の大小も規定以内な感じです。
明智光秀は優秀なうえに清廉潔白というか、民に対しても正しく優しい。
妻は一人、名言には、
『たとえ天下をとったとしても、妾(めかけ)は持たぬ』
当時、戦利品として女性を自分のものにすることが、男にとっては常識の時代。逆の立場になってみれば、どう感じるのでしょう。
「おい、ありか。光秀のやつ、女は妻だけだと」
「ない!」
そう、この時代にはないのです。少数派です。
仕事はできる、イケメンで女にもモテそうだが手はださない。
戦場で大騒ぎして戦利品の女性を自分のものにするのが通常の世界で、これはどう思われるだろうか?
偉い?
誰もそうは思わないでしょう。現代の常識でいえば偉いですが、当時としては受け入れがたい人物だったのではないでしょうか。
当時、日本にいた宣教師ルイス・フロイスはキリスト教的な教えを伝えたかった。
「処女は、たいせつで〜〜す。みなさん、夜這いはだめで〜〜す」
必死に訴えましたが。
「じゃあ、結婚はどうやってすんの」
と、聞かれる始末だった。
そうです。夜這いで結婚、この時代の常識でもありました。
もちろんレイプはだめですが女性も男性もおおらかな時代です。
好きなら、ソク寝ちゃえって。
アレ?
今の時代の若い人は・・・
光秀は非常に稀有な存在であって。
例えば、現代なら「テレビの娯楽番組はみません、キリッ。NHKの教養番組だけです」と宣言しているようなものです。
こういう男、仕事で同僚だったら、どう思いますか?
恐ろしいほど切れて賢い。なにをやらせても人並み以上。
尊敬はしますが、ムカつきます。
秀吉とは非常に対照的な人間です。
その秀吉ですが、「本能寺の変」を知り号泣したと、現代の資料に残されています。
号泣した。
しかし、悲しみにくれた秀吉は、織田家の息子をどうしたでしょうか。
逆らった者は殺害し、従順な息子は家臣にして、あとは僧侶にしたもの、庶民に格下げした者など、号泣した殿の子どもに対して、あきらかに非情でした。
号泣したが、それはそれ。
恩に報いることはなかったです。
―――――つづく
*内容には事実を元にしたフィクションが含まれています。
*登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢を書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』
2020年1月〜