【明智光秀の謎|信長編 4】完全否定!信長は冷酷無比だったのか(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)
明智光秀の謎、ちょっとその前にラクビー
日本対スコットランド、祝勝利!
やりました!日本。
試合に夢中で中継できませんでした。
しかし、後半戦、ドキドキしましたね。
特に、最後の10分の攻防。
手に汗握る展開!
守る! 守る! 守る!
よく頑張った!
ラクビー日本代表、最高!!
昨日から興奮しています。
では、【明智光秀の謎|信長編】でござい。
画像:柴田勝家像(戦国未満https://sengokumiman.com/より)
織田家、骨肉の争いであった稲生の戦いの後
戦場から戻った柴田勝家は、オノレの無能さに絶望していた。
信長という若造を完全に侮っていた。
敵として生身の身体で正面から戦ったとき、はじめて相手の大きさが見える。
勝家は信長と剣を交え、そして、悟った。
あのウツケは大きい!
柴田勝家、親しい人間に権六と呼ばれた愛されキャラであって、
「あご」「鬼の権六」「かかれ権六」「瓶割り権六」と、当時からのニックネームが、ほぼ500年の歳月を超えて、多く伝わってきている。
柴田勝家、男でござる・・・
いつの時代でも同じかもしれない。皆がニックネームをつける人は、どこか愛嬌があって憎めない人柄だ。
さて、稲生の戦後、ほうほうの体で屋敷に戻った勝家、心から悔やんだ。
「どえりゃあことをしてしまったでかんわ」
(訳:大変なことをしでかした)
「わしゃ、たーけ者だったで、ちょうすいて、とろくせことばっかしでかして、まっぺん殿にあわなかんで」
(訳:私はバカだった。自分を過信して愚かなことをしでかした。もう一度殿に会って申し開きしなければ)
「殿!」
一緒に戦ってきた家臣が、かたわらで平伏している。
「ちゃっちゃっと、カミソリを持ってこなあかんで」
(訳:すぐにカミソリを持ってこい)
「どうすりゃあすで」
(訳:なにをなさるんで)
「めちゃんこ申し訳にゃーで、髪を剃ってあやまりにいくで!」
(訳:愚かだったから、髪を剃って謝りにいく)
と、土地柄、柴田は名古屋弁で叫んだであろうか。
今回の反乱は信長の弟である信行を首謀者としていたが、実質的には勝家である。柴田勝家、34歳*。信長より12歳年上であった。
この時代を現代に置き換えれば、勝家は中年の男盛りという年齢、働き盛りである。前社長の信秀の時代、織田株式会社では出世頭で取締役までになっている。
元社長の若い息子が茶髪でチャラチャラした格好で、勝手な命令を下しても、(このバカが)と内心では感じたであろう。
心血注いで大きくした会社を潰してなるものか、就任した新社長の素行には我慢がならない、そんな共通の思いがある重役連の憤懣(ふんまん)を代表して、圧倒的な勢力で反旗を翻した。そして、敗北したのだった。
血は流れないが、現代の社内人事でもありがちな出来事ではないだろうか。
こうした場合、企業なら地方へ飛ばされるなど、主流に残ることは難しい。
戦国時代なら、結果は死だ。
だからこそ、柴田は敗退して屋敷に戻ると髪を剃り坊主になった。
この辺りが愛されキャラとしての面目躍如といったところではないだろうか。
その後、灰色の僧服姿に身をやつした勝家、信長の前に現れ・・・
平伏した。
まさに、スライディング土下座である。
信長という男は権威的に振る舞うことに興味を持たない。自由な男であることは、子ども時代からの勝手気ままな服装でも性向は知れてくる。
だから、僧服に身をやつし、弟とともに来た勝家をどう思ったのか
反抗しやがって、と思ったのか。敵ながら勇猛な戦いに感心したのか。あるいは、ザマアと笑ったのか。
勝家が「かかれ権六」というアダ名があるのは、戦闘にあたり誰よりも大声で「かかれ! かかれ!」と叱咤激励するからである。
信長は稲生の戦闘でも、そうした勝家を目にしていたであろう。
信長は思ったにちがいない。
弟のバカはどうでもいいが、この男、惜しい!
さて、どうしたものか、と。
母親である土田御前が城に来ていた。
「どうか、信行をお許しください。この母に免じて、どうか、どうか。あの子は柴田らにそそのかされたのです。兄君に逆らおうなど、あの子の考えではありません」
連綿と母は嘆き、涙を流し、信長に命乞いをしてきている。
平伏する柴田勝家と弟の前に現れた信長。ほとほと困っていた。
大股で上座につくと、一言、
「それで」と言った。
「殿、なにとぞ、なにとぞ、切腹を申し付けくださいませ」
「左様か」
そう言ったまま、信長、次の言葉を口にしない。
勝家はキモが冷える思いに畏まった。
信長はただ言葉もなく二人を見て、それから立ち上がった。
「許す」
信長の性格は、冷酷で合理的、情など一切もたぬと思われているが、しかし、意外に情に厚いところがあって、夫の浮気に怒り狂った秀吉の妻に対して、許してやるようにと優しい手紙を書くような側面をもっている。
信長、今回の戦いで多くの仲間を殺されたにもかかわらず、二人を許した。
真に信長は冷酷非情で合理主義な男だったのだろうか?
これ以降、柴田は信長を裏切ることはなかった。
一方、ふたたび反乱を画策した弟信行に幻滅した勝家は、弟謀殺に手を貸し、2度と信長に逆らうことのない信頼のおける武将として、天下統一の助けとなっていく。
『本能寺の変』後は、信長の遺児に忠誠をささげ秀吉と対決したのも勝家。最後は、妻である信長の妹お市の方とともに、自害している。
彼の人生、その真っ直ぐな生き方。
「がんばった権六」という愛称をつけてあげたい。
明智光秀の謎
明智光秀は、名門である土岐氏の流れをくむ明智家の一族として生まれたとされるが、庶流である。
庶流とは、平たくいえば、長男、次男の関係。
嫡流とは、長男の家と、その子孫の長が受けつぐものであり、庶流はその正統な流れからはずれた一族になる。
アニメ『ナルト疾風伝』での日向一族の分家と同じ意味で、ネジの苦しみと明智光秀の苦しみは似ているのだろうか。(ごめん、ナルトを知らないかた)
兄弟間は、2019年の現代では同等の地位であるが、当時、長男であることと、次男であることは大きな身分的な違いを持っていた。すべての家財産は長男が引き継ぐもので、その他は身の立て方を考えなければならない。
庶流である明智家の身分はそれほど高くはなく財産もなかったと思われる。
さらに、光秀は父母ともにはっきりとはしない上に、生まれた年も1516年、1528年、1540年など諸説ある。
実家の身分が低かったのか、あるいは、『本能寺の変』で裏切った一族ということで歴史から抹殺されたのか、いずれにしろ、若いころの話が残っていない。
ところで、1540年生まれとしたら、非常におもしろい。
と思うのは、唯一、信長より年下になるからで、この生誕年、どちらを取るかで、ずいぶんと印象が変わる。
1534年生まれの信長。
ちなみに『本能寺の変』で光秀に忙殺された信長は49歳。年下とすれば光秀43歳であって、これを1528年生まれとした場合、6歳年上の55歳。
光秀が信長に会う前、
「この若造」と思ったのか、「先輩」と思ったのか、ある程度、年齢に左右されると思うのであって、6歳上か下かによって、無意識の領域で侮るか尊敬するかの分かれ道になったのではないかと想像している。
さて、生誕地のほうも、現在の岐阜県加治市の明智城という説が通説だが、これもはっきりとはしない。6箇所くらいの場所が唱えられている。
NHKドラマ『麒麟がくる』では、明智家はマムシの道三こと斎藤道三の家臣として仕えたことになっており、これがもし事実であるとするならば、不可解なのは斎藤道三は土岐氏を滅ぼして、その地位についた武将であることだ。
最近、新説として滋賀県庁で働く井上優氏が、光秀は近江国生誕という説を唱え、歴史好きの注目になっている。
その根拠は、1684年〜1688年に書かれた『淡海温故録』に「土岐氏の庶流にあたる明智十左衛門が居住しており、その子が明智光秀である」とする記述が残っていること。その上に、代々左目に伝わる口伝*にも同様の内容があり、信ぴょう性があるということ。(*口伝とは、親から子へと口伝えに送る言葉で文字にはしていない。)
そうなると岐阜ではなく生誕地は滋賀県となる。
『淡海温故録』には、土岐氏に背いた光秀の祖先が、六角氏をたよって近江つまり滋賀に住んだという記述で、それなら土岐氏を滅ぼす斎藤道三の家臣となっても不思議はないという思えることだ。
つまり、わかっていることは、生誕地も生年もはっきりしていないという事実だけということだ。
光秀の痕跡が、はっきりと形として残っているのは、1573年に越前に住む服部七兵衛尉に、光秀が出した手紙である。
さて、話を戻そう。稲生の戦い後、1556年。
光秀は浪人となって、朝倉義景を頼って落ちのび、その後10年、彼に仕えている。
信長との接点はまだない。
―――――つづく
『信長の野望 大志』
コーエーテクモゲームスより発売
2018年に1000万本突破の人気シミュレーションゲーム「信長の野望」です。
柴田勝家もよかったです。無双奥義・皆伝という技では『死に場所は・・・! ここと定めい』といかにも勝家らしい、物言いで楽しく戦ってくれます。
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*柴田勝家、明智光秀については生年に諸説あり、便宜上、柴田1522年生まれとして書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。
台風で被災した地域の皆さま、1日も早い復興を心からお祈りしています。