アメリッシュガーデン改

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【明智光秀の謎|信長編 3】圧倒的不利な戦いで勝つのは奇跡なのか才能なのか(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)

 

私、ずっとパソコンの前に座って書くことが苦手で、書いてる途中で、気がつくと他のことをしています。例えば、ネットサーフィンとか、立ち上がって冷蔵庫からプリンを取り出したり、それから、おもむろに本棚に向かいマンガを読み出すとか・・・

 

そうやって歩きながらも、信長のことが頭から離れない。彼について調べていくほど、古傷のような痛み、むかし馴染みの痛みを感じるのです。

 

これを恋といわず、なんと呼べばいいのでしょうか。

 

「あなたを愛してる。あなたは愛さずにはいられない人で、そういう男だから、それだから・・・、困っているんだけど」

 

そう呟いている自分がいます。 

明智光秀を書いていた時とは全く異なる感情です。光秀は、

 

「可哀想な人だね、あなたって。自分にがんじがらめになって、その束縛から逃れることができなかったんだ。真面目でいい人だったけど、それが弱さでもあった。可哀想な人だね」と思っていました。

 

それにしても、どうして多くの人が信長に惹かれるのでしょうか。

 

彼の強い意志、彼の戦略、彼の孤独。

当時のほとんどが彼を理解していなかった・・・

 

父が亡くなり、これまで陰日なたとフォローしてくれた平手政秀は自害。

 

誰もいない。

誰も彼を認める人間はいなかった。そして、周囲の大人たちからイジメがはじまる。それも命がけのイジメでした。

 

信長の父は知略に優れたカリスマ武将

 

信長の父、信秀は家臣にとって図抜けた頭領です。

いうなればカリスマ大将で、祖父から譲り受けた領土、今の愛知県西側から軍団を率いて戦い抜き、三河方面までを広く勢力下に収めたのです。

 

急激な領土拡大には、それ相応のリスクもあります。

 

父信秀は領地を拡大した結果、その領地に見合うだけの組織造りは、まだまだ荒削りだった。

 

一時は破竹の勢いで中部地方を席巻し、尾張で一番エライ、守護大名の斯波氏さえも上回る勢力になりましたが、しかし、すぐ、しっぺ返しがきます。

 

彼の死の直前には、北側では斎藤道三に大敗し、東側からは今川勢に攻め込まれて、西三河あたりの織田勢は総崩れになりました。

 

周囲は敵ばかりという状態で病に伏し、病死。

織田家中は大変な危機に面したのです。

  

ーーーーーー

家族内での孤独な10年の戦い

 

父信秀の葬儀

 

信長の行為で厳粛さが吹き飛んでしまった葬儀。

この時、信長17歳。すでに元服して結婚もしている。

 

「ウツケが・・・」

 

家臣団の苦虫をつぶしたような声が聞こえてくるようである。

それにしても信長よ、ちょっとは空気を読めと思わずにはいられない。

 

袴もはかず、普段着のそれも汚れた姿で葬儀にあらわれ、いきなり仏壇に向かって抹香を投げつけるとは、その行動はあまりに幼い。

なぜ、これほどまでこの青年は荒れているのだろうか。父は彼の唯一の理解者であって、敵ではなかった。

 

それとも、彼なりの悲哀の表現であったのか。

あるいは、周囲を敵ばかりにして勝手にあの世に去った父に怒りを覚えていたのだろうか。

 

誰も彼の心のうちなど理解できない。理解するのはその奇行とも言える行動だけである。

 

家臣団のトップたち、とくに猛将と知られた柴田勝家など、腹わたが煮えくるような怒りを覚えていた。

 

柴田勝家は弟信行の家老である。

こんなアホより、自分が使える優秀な殿をトップにいただきたい。自然な感情であろう。

 

柴田は家に戻ると、小姓に向かって吠えた。

 

「あの、ウツケが! あの小僧が、亡き殿が血肉を注いだ織田家の頭領だと、片腹いたいわ!」

 

袴を脱ぎ捨て、どっかと板の間に座ると、烈火のごとく彼は怒り、また憂いた。

 

「殿、お怒りはごもっともでございます」

「文だ。祐筆を呼べ!」

「は!」

「殿も殿じゃ。あのウツケ者に家督を譲るなど、真剣に織田家を考えてなさったのか。今となっては、その尻拭いがワシの仕事じゃ」

「は! して、どなたに文を」

「信行殿じゃ。時を待てとな。今はまだ小憎らしいことに、あのウツケの後ろにマムシが控えておる。手がだせん」

 

マムシとは斎藤道三のこと、信長の父が死ぬ前、岡崎城織田家から取り返し高笑いしていた戦国猛将の一人である。信長の義父であり後ろ盾であった。

 

信長の弟信行も忸怩(じくじ)たる思いがあったのは確かだ。

ほとんど会ったことのない兄は、今でいう落ちこぼれ。勉学もせず、遊んでばかりのウツケである。

 

自分は弟かもしれないが、家中からの信望もあつく優秀な彼に家督が譲られない理由がわからない。

 

家臣ら、それも織田家の筆頭家老の林秀貞や弟の美作兄弟、信行の家老である柴田勝家など大方の重臣が彼を推している。

 

1556年5月。信長22歳。

事態は家中というより、別の場所で動いた。

 

信長の後ろ盾であるマムシの道三が、家督を譲った息子に殺されるという珍事が発生したのだ。信長は急を聞き援軍に駆けつけたが間に合わなかった。

 

信行と家老柴田勝家は、この好機に膝を打った。

 

マムシの死の一報を知ると、彼らは公に反旗を翻しはじめ、信長を挑発した。

 

信行は自ら織田家代々の家長名『弾正忠』を名乗り、信長の所領篠木の領地を奪ったのだ。

 

この所業には、信長、右ほほをヒクヒクさせて怒ったろう。

 

さんざんウツケ者として好き勝手してきた代償がこれか。

子ども時代からの悪童ぶりを、信長は後悔をしたのだろうか?

 

いや、しなかったと見る。

 

彼は、そういう男ではない、済んだことは済んだこととして割り切りの早い人間だ。それに、信長はただ単に悪童どもを引き連れて暴れていたわけではない。騎乗の練習や戦いかた、そして、領地の地形を観察していた。

 

それは意識的ではなかったかもしれない。

 

しかし、馬を駆っていれば自然とそうしたことに精通していく。戦いに明け暮れた100年の戦乱時代、そこに生まれ落ちた彼は戦いへの野生の勘のようなものを身につけていた・・・

 

それにしても、織田家中に信長の味方は少ない、なにせ最長老の家老までもが弟についてしまったのだ。

 

「殿!」

 

知らせを持ってきたのは、幼いころから彼と行動を共にしてきた乳母の息子池田恒興である。

 

「なんだ」

「佐久間殿から連絡が、名塚の砦、完成したそうです。いかがいたしますか?」

「兵はどれほど集められる」

「700ほどかと」

 

彼は空を眺めた。

ぴぃ〜〜〜という高い声音がして、トンビが天に舞っている。

 

「自由だな」

「殿!」

 

幼馴染の信長は恐れを感じているのか、恒興には理解できない。 

 

「出兵する」

「いつ」

「今じゃ!」

 

信長は主要家臣をまとめる弟にたいして、先に戦いを挑んだ。それも圧倒的な不利な立場である。

 

信長勢700に対して、信行勢1700。

 

戦闘において、最も大切なことは兵力の量である。倍以上の敵にむかっての勝率は、ほぼ0。

 

「ふふふ。やはり兄者はウツケじゃ、ウツケじゃな」と信行は高笑いした。

「あの兵力で自ら戦いに挑んでくるとわな。よほど死にたいとみえる」

 

戦闘における兵力の力関係・・・

 

これは先週行われた、ラクビーの試合を思い浮かべれば理解しやすい。

 

前回のラクビーサモア戦で日本が勝利した理由は、途中ペナルティで敵選手が一人減り、15対14で有利な試合運びができた理由が大きい。

 

同じことが戦闘でもいえる。

 

この時の信長の戦力、

ラクビーの試合に例えれば、15対36の戦いに臨むようなもので、勝利は不可能であったろう。

 

だが、それでも信長は勝った。

 

いかに?

 

彼の強みは、あくなき探究心とスピード、そして単純に肉体的なケンカの強さだ。子ども時代からケンカばかりして成長し体力と腕力を蓄えてきた。

 

探究心とは、この時代には珍しい長槍を部隊に取り入れたこと。

スピードとは自分のゴールを把握しており、その目標に向かって最短距離で向かうこと。

そして、文字通り、1対1のタイマンに強いヤンキーのボスであった。

 

かっこいい男だよ。

 

稲尾の戦い

 

8月24日正午、夏の太陽が強く兵士たちは戦う前から汗をかいていた、場所は稲尾。

 

戦いは、信長の攻めではじまった。

 

この時代、兵力といっても歩兵の大半が農民である。

戦いがあれば駆り出され、暇なときは畑を耕し、蚕など育てる一般人がほとんどであった。

 

1700対700では圧倒的に弟軍が強い。

戦い上手の猛将柴田勝家が奮戦すれば、数の原理で信長に勝利の目はない。

 

そして、戦闘はその通りの展開になった。

 

味方の歩兵は敗走し、敵歩兵は、あっという間に信長の本陣に迫ってくる。

 

しかし、信長の真骨頂はここからだ。

 

生まれてから、彼は戦いに明け暮れてきた。

勝つ戦闘もあれば、負ける戦闘もある。そのデータが頭にあった。つまり、冷静な分析には事欠かない。

 

喧嘩の最後は胆力であると熟知していたのが信長という男である。

信長の歩兵部隊は負けると知って、すでに逃げていた。

 

柴田軍が本陣に挑んできたとき、信長の前には織田勝左衛門、織田信房、森可成と鑓持ちの中間40人ばかり。

まさに、命の危機である。

 

先ほど書いたように歩兵は一般人である。

食べ物欲しさに志願しただけで、戦いにたけ訓練された部隊ではない。

 

信長の本陣に迫ってきた歩兵もまたそうした一般人部隊だ。それも、顔見知りである。本来なら味方であった。

 

一方、信長の本陣を守るのは精鋭部隊。

 

子ども時代から信長と遊び暮した幼馴染をはじめ、訓練されたヤンキー軍団。

 

この時代、一般的には戦闘現場で大将が戦うことはない。

味方の一番奥、本陣に陣取り、戦況を見つめ、分析しながら部隊を動かす。

それが大将の役目であった。

 

本陣に敵が近づけば、まず最初に逃げるのが大将である。

大将の首を取られては、その国は滅亡するしかないからだ。

 

しかし、信長が違った。

 

彼は天才的な軍師であると同時にみずから前線で戦う戦士である。

誰よりも前に出て、誰よりも汗と血を流す。

 

そんな信長に惚れた歴戦のツワモノが信長精鋭軍団。

いわばヤンキーボスに従うケンカ上手のヤンキー軍団。

 

一般人の歩兵などが、かなう相手ではない。

たとえ、2倍の歩兵がかかってきてもプロの戦闘集団には勝てない。

 

先ほどのラクビーを例にすれば、

15名のラクビー選手に、例えば、あなたや私、戦闘経験の少ない150人が戦いを挑んだとする。

 

勝てますか?

あのラクビー選手を15人を相手に150人程度で勝てますか?

 

つまり、1対15。

リーチ選手対私たち15人。

勝てる気がしねぇ!

 

本陣に残る40人ばかりの兵士に、10倍はいる敵兵士、それでも攻めあぐねる柴田軍。

 

その瞬間。

タイミングを見計らったのか。

 

「てめえら! 何をしとるのかっ! 信長じゃ!」

 

大音声が、とどろき響きわたった。

 

鬼神のような信長が吠えたのだ!

 

信長の声はデカイ。彼が一喝したとき、熟練の兵士も一瞬で怯む。

その迫力、胆力は子ども時代からの悪ガキ育ちが鍛えた自信である。

 

敵兵ども、その声にビクッとした。

震えた。

 

「死にてえのか!」

 

もともと、自分たちの正当な殿である。

この瞬間、戦の勝敗は決まった。

 

柴田軍の兵は信長の一喝に逃げた。

 

信長、勝利の瞬間であった。

 

その後、温存していた残りの歩兵とともに、間髪をおかず信長軍は林軍にうちかかった。しかし、逃げ腰の林軍に勝敗は見えていた。

 

この戦法戦略には痺れる。

 

最初、柴田軍にうちかかった歩兵350は捨て駒

戦況が反転したとき、残りの兵とともに勢いに乗って攻め込んで落とす!

 

賭けでるタイミングを逃さない、天才であろう。

 

ーーーーー

 

信長家の骨肉の争い

 

ベンチャー企業が業績を上げるまでに必要な年数は10年ほどと聞きます。

 

例えば、マイクロソフトを例に取ります。

 

世界的大企業ですが、Windowsが軌道にのったのは1985年、会社設立からほぼ10年かかっています。その後の勢いから、あっという間に世界を席巻したように見えますが、実は基礎固めに10年かかっているのです。

 

10年という歳月の間で、

ベンチャー企業のほとんどは、一瞬の花火を打ち上げて消え去っていきます。熾烈な競争のなかで生き残ったマイクロソフトのような会社は、おそらく10%にも満たないでしょう。

 

信長が父の死から家督を譲り受け、やっと織田家支配下におくのに、やはり10年かかりました。

 

信長は、あっという間に天下統一をしたというイメージですが、実は父の死後10年かかって家中をまとめ、その後、今川氏を破って天下に名を知らしめたのです。

 

ーーーつづく

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信長の野望 大志

信長の野望 大志』

コーエーテクモゲームス発売

2018年に1000万本突破の人気歴史シミュレーションゲームです。

結構、戦ってみました。面白かったです。

 

*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。

参考資料:#『信長公記太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。

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