【明智光秀の謎|番外編】顔面偏差値が高いと勝ち組になれるのか?戦国美女の人生(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)
戦国時代の顔面偏差値って
織田信長の外見を考えたことがありますか?
彼、実は超絶イケメンでした。
現代に残る信長像ではわかりにくい、真のイケメンであったに違いないのです。
織田一族の血筋には美男美女が多く、背がたかくスラッとして、細面の顔に色白という特徴があります。
彼の弟信行もイケメンという資料が残っています。
妹お市の方は、その美貌で天下に知られていました。戦国一の美女と呼ばれています。信長の娘冬姫も美女として名を残しており、姪の淀殿も美女でした。
信長と血の繋がった親族には美男美女が多い。信長自身も端正な美男であることは間違いなく。戦国時代のイケメン認定、顔面偏差値75は間違いないところでしょう。
一方、明智光秀もなかなかの男前、品があったと伝えられています。
宣教師ルイス・フロイスが書き残している資料には、彼の息子と娘はヨーロッパの貴公子や貴婦人を彷彿させると。
実際、彼の娘である細川ガラシャ夫人は美貌で有名でした。
信長と光秀の関係、今日は深掘り方面を変えて、戦国時代に生まれた顔面偏差値の高い美女の人生とその結果をみてみます。美しく生まれたら、果たして人生勝ち組なのか。それはそこ、ご想像通りです。
戦国時代、勝手に美女ランキング
妄想ランキングです。どうぞご容赦ください。
顔面偏差値が高くともランクが下の女性もいます。性格を加味しての美女であります。
5位 肉感的なセクシー美女『茶々のちの淀君』
1569年〜1615年 顔面偏差値65
気の強いイメージです。
幼いころは優しい父母のもとで甘やかされて育ったことは間違いなく、しかし、浅井家滅亡で辛酸を舐め、その性格を形作ったと思われます。
息子を守ることに必死な母でした。
ーーここからは妄想ですーー
男に関しては、ここぞと目をつけた男は必ず落とす!
絶対、落とす!!
意中の男が廊下を歩いてくると、
「あっ」
ふいに、つまずいてみせる、そんな技などを習得しています。
そもそも美しい顔に見とれていた男、
「姫!」
とっさに彼女の身体を抱き、その柔らかい肌とかぐわしい匂いに平静を失ったところにもって、最大の女の武器発動。
身体をくねらせ流し目で下から目線で男に寄りかかります。
「だ、大丈夫、で、で、ですか」
「寒いの」
夏です。
この際、気候はきにしません。
汗に混じった芳醇な香りに、男の理性はすでにない。間違いなくない。
なぜ、高貴な姫が、お供も連れずにここにいるとか、そんな理性は吹っ飛んでいます。
そして、いいタイミングでふすまが開き、その先には、誰もいない座敷。
淀君、妊娠作戦完了であります。
ちな、この手は2回。秀吉と誰かに使ったにちがいありません。
見事です。
容姿的には和風マリリン・モンローのイメージで肉感的なセクシー女性。
いわば、ファムファタール(運命の女)です。
お市の方の長女ですから、相当の美貌であったと思います。秀吉が一番美しい茶々の婚姻先だけ決めず、ずっと残して、結局は自分のものにしたと読んだこともありますが、実際のところはどうでしょうか。
そして、ここが肝心なんですが、秀吉の子を産んでいます。
きっと、彼の子ではないかと・・・
秀吉には側室が多いのですが、他に実子がいません。
唯一の子どもを産んだ茶々は、秀吉の正妻、北の政所の権力を上回ります。
子をなせば権力を得ると知った女の策略がすごい。男を落とす手管にかけた知恵と美貌と性格の強さ。3拍子揃った美女です。
桑田忠親著『淀君』によれば、いわゆる清楚な美女ではなく、美貌の母より父浅井の血をより濃く受けついた肉感的な女性であったと書かれています。
セクシーで胸の豊満な悪女ですが、
家康と戦かった大阪夏の陣、冬の陣からみると、目先のことしか知恵が及ばないタイプじゃなかろうか。
悪い意味での女です。
ともかく、男がその姿をみると、ちょっとフラフラするような、そんなセクシー女性であったに違いありません。
秀吉の正妻、北の政所が嫌っていたところから、女が嫌い男が好きになる典型的な豊満美女だったろうと思います。
4位 プライドが高い美女『細川ガラシャ夫人』
1563年〜1600年 顔面偏差値70
明智光秀の娘です。
当時、日本に訪れていた宣教師ルイス・フロイスが貴公子だったというイケメン光秀と、病気で顔にあばたはできたが元々は美しかった正妻煕子の3女。美男美女の娘で順調に美女です。
「あら、あなた、私の足をお舐め」という女王さまタイプ、プライドの高い女性のように思えます。
細川忠興と政略結婚したのち、キリスト教に帰依します。ガラシャという名前は洗礼名で本名ではなく、本名は『たま』です。ネコではありません、たまです。
彼女は明智の娘として、『本能寺の変』後、夫に幽閉されますが、それでも子どもが生まれているところをみると、仲は悪くなかったようです。
しかし、気位が高く、かなり激しい性格であることが、その行動から見えてきます。
「5人の側女を持つ」と、九州征伐からもどった夫の言葉にヒステリー発動。ま、それは忠興さんが、悪いのですが。
現代の感覚で結婚を考えてはいけません。家の存続には子どもが必要であって、謀反人の娘の子に家督を継がせるわけにはいけないでしょうし、忠興も辛いです。
「なんっですって!」
掴みかからんばかりに、正面から詰め寄るのが、たまです。ネコじゃありません。ネコのように、寄れば逃げる、去れば甘えるという技はないです。真っ向勝負です。
「仕方がなかろう。お家のためだ」
「あ、あなた、私の辛い境遇を知って、そんなことを。ひどい、ひどすぎます」
涙ながら訴えるその姿、さすがの美女にも興冷めする忠興。
「たまよ」
「たまじゃありません、ガラシャです」
「なんと申した」
「キリスト教の洗礼を受けました」
「なにをしでかしたんだ。関白殿に知れたら・・・」
「お黙り!」
そして、彼女の最後は壮絶です。
関ヶ原の戦いで、石田三成がガラシャ夫人を人質に取ろうとしたところ、なんと自害をして屋敷を爆破するという快挙をなしています。
こうした行動からも、美人で強い意志をもち、多少、ヒステリックな女性だったのではないかと思われます。
3位 悲劇の美少女『駒姫』
1581年〜1595年 顔面偏差値75
戦国武将、最上義光の娘で東北一の美女と歌われた駒姫。
両親に大切に育てられましたが、秀吉から甥の秀次の側室として差し出すように要求されます。
両親は頑なに拒みますが、時の関白殿下です。結局、15歳になったとき、秀次の側女として上京しました。
それが悲劇でした。
太閤秀吉は子どもができず、甥である豊臣秀次に2代目関白として位を譲っています。そのままなら問題はなかったのですが、淀君に秀吉の実子ができたことで運命が狂ったのです。
京都に到着したばかりの駒姫は、他の側室たちとともに三条河原に引き立てられ、処刑されました。
まだ、側室になる前という気の毒な状況で、父は必死に助命を嘆願し、周囲も迎合。秀吉も無視できなかったらしく、処刑は許そうと早馬を走らせたが間に合わなかったそうです。
まだ15歳です。
間接的に淀君に殺された悲劇の美少女です。
この少女が、これほど美しくなければ悲劇に巻き込まれず、ほどほどの人生を送り、天寿を全うできたかもしれません。
美しいゆえの不幸でした。
せつない・・・
2位 男前な美女『甲斐姫』
1572年〜没年不明 顔面偏差値70
戦国時代、男に従って楚々と生きる女性たちが多いなか、薙刀(なぎなた)を持って城を守り抜いた男前の女性がいました。ちょっと古い言い方ですが、甲斐姫こそハンサムウーマンであります。
忍城城主・成田氏長と最初の正妻の間に生まれています。
19歳になった甲斐姫は、美しい容姿から「東国無双の美人」と呼ばれ、武芸に秀で、軍事戦略に明るい知的美人。「男に生まれたら天下に名を成した」と家族を惜しませた女性でもあります。
1590年、豊臣秀吉による小田原城征伐の際、500人ほどの兵と3000人ほどの民をまとめ忍城に籠城した甲斐姫とその一族。
ここに、2万3000人の石田三成軍が攻め込んだのです。
この籠城時、急死した城主に変わり指揮をとったのが新城主・成田長親。彼を助け、甲斐姫は鎧をかぶり戦ったといいます。
映画『のぼうの城』で有名な、あの長親です。
家督を譲られた城主長親はデクノボウとして有名でしたが、のぼう様と領民に呼ばれ、ものすごく親しまれ愛されていました。
この長親に惚れたのが甲斐姫です。親族です。
「城を水攻めしようと、あの三成の奴め」
血気にハヤった甲斐姫、自ら薙刀を振って、のぼう殿に向かいます。
「私が行って戦って参りましょう」
「いや、姫、それは」
「鎧(よろい)を!」
「姫や。ここは静かに待つ場面じゃ」
その後、圧倒的な秀吉軍に忍城は開城することになり、彼女は豊臣秀吉の側室となりました。秀吉の死後、消息は不明です。
おそらく、自ら城を出て、そして、市井で元気に生きたのではないか。そういう想像を逞しくするほど、かっこいい美女です。
1位 優しく人に寄り添った品格の美女『お市の方』
1547年〜1583年 顔面偏差値80
織田信長の妹で政略結婚した浅井長政との間に3人の娘、「茶々、初、江」がいます。実は信長のスパイだったという説もありますが、結婚後は長政を心から愛しています。そういう嫋やかさがある女性なのです。
二人は仲がよく、長政が信長と関係が悪化した後も、娘を生んでいることから、夫婦は互いに愛し合っていたようです。
その後、浅井家は信長に敗北して落城、お市の方は織田家に戻ります。
信長は、お市の方に愛情深く大切に接して、贅沢な暮らしをさせたらしいです。戦国時代、最も美しいと言われたお市の方、彼女が最も愛したのは兄信長であったという伝聞さえあります。
さて、その後9年を経て「本能寺の変」。信長亡き後、清洲会議で秀吉と勝家は激しく対立します。
「お市の方でどうじゃ」
秀吉、柴田勝家がずっと憧れてきた女性の名を出しました。
勝家にとっては主君の妹で、その美貌にぞっこんでした。
高嶺の花がニンジンとして目のまえにぶら下がっています。
秀吉、サル顔をにやりと歪ませます。
「お、お市の・・・」
「いやいや、柴田どの、拙者が仲をとり持たせてもらうで」
「いや、おおお」
「話は決まったの」
「おおお」
清洲会議での勝家の不満を抑える秀吉のうまい策略。まんまと勝家、引っかかった。つまり、お市の方には、それほどの魅力があったようです。
彼女のためなら天下を捨てる勢いです。
その後、秀吉と対立して敗れ二人はともに自害しています。
最後は自害、それでもお市の方、無骨な勝家にとても大切にされたようで幸せな結婚生活だったのでしょう。
常に夫を愛し優しくたおやかな品のある女性でした。
最初の夫浅井長政にも深く愛され、柴田勝家を夢中にさせ、秀吉も憧れていたと言います。兄信長もお市の方を大切に思っていたようです。
なにか美貌だけではない魅力を感じます。男性をとりこにする、優しさと慈愛と知性を兼ね備えた母性に満ちた女だったのではないでしょうか。
こういう女性は、どんな境遇であろうと、結局、幸せになっていくようです。今そこにある幸せを愛おしく大切にする心を持っているからでしょうか。
*どの女性も生年月日、とくに生誕日は不明のことが多く、通説を記してあります。
『信長の野望 大志』
コーエーテクモゲームスより発売
2018年に1000万本突破の人気シミュレーションゲーム「信長の野望」です。
お市の方、戦闘能力70。なかなか強力。
「お家の存続」が一番のお市の方、女性武将として強いです。
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*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。