【明智光秀の謎|信長編7】子ども時代に受ける無償の愛以上の教育はないのかもしれない(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)
親に正しく愛されなかった子どもは悲しい。
彼らの不幸は、ただ愛されなかったという事実だけではすまない。
心に欠けたもの、別の言い方をすれば飢えを常に持ち続けるからだろう。
人は知性があるからこそ不安も同時に育てる。それを人間の業(ごう)と呼ぶのか、あるいは、飢えと呼ぶのか、私は知らない・・・
安全な家で安心を得て育った場合、そうした欠落感とある程度は折り合いをつけて生きていける。しかし、愛情不足の場合、その欠落感と不安が彼らを駆り立てる。
悪に染まるのか、あるいは、欠落を糧に成功者になるのか。
その分かれ道がどこにあるのか、それは、本人の決断しかない。
木下藤吉郎のち秀吉は欠落感を原動力とした。
しばらく今川軍の下の下の武将の雑役などをして働いた後、信長に拾われ、桶狭間の戦いの頃には足軽にまで出世していた。
今川軍が本陣を置く沓掛城下
藤吉郎の姿は今川義元が本拠地を置く沓掛城下にあった。
薬売りの姿に化け城下を練り歩く。戦の最中で薬の需要は多く、兵士からの話も聞きやすい立場であったろう。
「織田ちゅうウツケは、やっぱりウツケだ。清洲城からはでて来んだら。へぼいわ、ほだら、ようけ城がおちとるだら」
(三河弁訳:織田というバカは、やはりバカだったな。清洲城から出てこない。弱いから、多くの城がおちていく)
藤吉郎は、それに三河弁のアクセントで答えた。この地の言葉も土地勘もあった。
「ほおか」
(三河弁訳:そうか)
「ところで、おまん、見ん顔だらが」
(三河弁訳:ところで、君、見ない顔ですが)
「あんなぁ、こんあたりはやっとかめだら。おうじょうこいたわ」
(三河弁訳:あのね、ここは久しぶりだから。大変でした)
「じゃったか」
(訳:そうだったのか)
藤吉郎は密命を帯びてこの場にいた。
今川が沓掛城を出て本陣をおく場所をさぐる。そのスパイとして放たれた一人であった。
藤吉郎はその役を自ら手を挙げて「行かせてちょうだいなも」と、直訴した。
「あん地は、しばらく住んどったで」
敵にバレれば死罪、その危険を冒しても引き受けた。
彼には野望があった。誰よりも出世したい。
偉くなって、継父に復讐する。その執念が彼を駆り立て動かす。
心の空洞を父への復讐心と出世欲で埋め合わせ、突き動く原動力とした。
藤吉郎は沓掛城の市井に紛れ、ひたすら待っていた。
三河に出立前、信長がスパイの数名に自ら指示を出した。
殿自らであって、下級層の彼らは一様に身が引き締まり震えた。
「よいか。義元は城を出て必ず本陣を立てる。その場所が重要じゃ。必ず探し出して知らせに参れ」
「お館様、必ずや」
「行け!」
「は!」
織田信長の命
沓掛城下の今川兵たちは、足軽から上の者まで、全戦全勝の戦勝に浮かれていた。
それを感じて藤吉郎は一瞬疑った。自分は間違った側についてしまったのか。
あるいは、今川側にいたほうがよかったのか。
彼はブンブンと頭を振った。
お屋形様は違う。自分のような者にも声をかけてくれる。身分の違いよりも能力の違いを評価してくれる。
藤吉郎23歳。
信長に仕えて6年。彼はさまざまな戦で信長とともに戦ってきた。
輿に乗り、安全な本陣で命を下す貴族的な義元と、常に先陣を切って敵に突っ込んでいく信長。
どちらにワシは惚れるだろうかと自問した。
答えは聞くまでもなかった。
信長は下級兵士や庶民に人気があった。
暇があれば、城から出て足軽など身分の低い武士と食事を共にし、スモウを取った。豪放な性格で人に分け隔てがない。
藤吉郎は、そんな信長に惚れていた。
桶狭間の戦い当日、朝から蒸し暑い日になっている。
丸根砦、鷲巣砦陥落の報を聞き、義元が輿(こし:当時の貴人がのる乗り物)に担がれて城を出てきた。
それを確認して藤吉郎は走った。
信長がもっとも欲しい情報、これをなんとしても自ら伝えたい。
6月の梅雨時、名古屋地方の天候は辛い。
湿気が多く気温は30度近く、まるでサウナのような蒸し暑さだ。
途中まで森のなかを今川軍に並走して、それから追い越した。
彼の先には信長がいる。
この戦い、圧倒的な不利な状況で勝つには本陣の義元に襲いかかるしか勝機はない。殿のことだ、必ずそう見ているからこそ、動向を知らせよと言ったのだ。
薬売り用に背負った荷を捨てた。
汗が滝のように落ちるのもかまわず、彼は走った。
視界がブレる。腕で拭うと水分が塊になって飛び散った。
息が荒くなり、胸が苦しい。
彼の向かう方向、そこに信長がいる。
(走れ! 藤吉郎、走るんだ!)
彼は走った。無心になって走った。
お昼過ぎ、藤吉郎は倒れこむように信長が陣をはる中島砦に到着した。
「お・・、お、お館様は」
「そなたは」
「き、木下、伝令じゃ」
「来い!」
抱きかかえられるように陣内に入ると、信長がいた。
「の、信長さま。義元、沓掛城を出て桶狭間方面から、大高あたりに兵をすすめております、おそらく本陣を置くのは、桶狭間の谷間」
それを聞いた信長、空を見上げた。
黒く不吉な雲が走り、遠雷が聞こえてくる。
南の海からは強い風が吹き、木々を揺らした。
先ほどまで晴れていたのに、雨になりそうだった。
この地で子ども時代から野を駆け、山を駆けてきた信長である。
気候の変動、空気の色、道の様子、すべてが彼の体に染み込んでいる。
地図をみるまでもなく、彼は今川が本陣を張る場所を感じることができた。
「お館様」
「出陣じゃ! 兵に伝えよ」
言葉と同時に彼は早歩きで馬に向かう。
子ども時代から彼に付き従う馬廻り隊が、その後ろにつき従う。
両手を土につけ、息を整えていた藤吉郎の横に来たとき、一言ねぎらった。
「でかした」
藤吉郎は、そこに平伏した。
騎乗した信長、緊張する軍兵たち。
彼の声は大きい。
2000人ばかりの兵の隅々まで声が届く。
「ものども、聞け! これから嵐がくる。この嵐は我らを隠す勝利への道だ。運は天にあり、敵がかかってくれば引け、退けば押せ、個々の巧名争いをするな、常に仲間とともに行動せよ」
兵に向かって叫んだ。
「おおう!」
「われらの強さを見せつけようぞ。義元は輿にのって酒を飲んでおる。笑え! わが兵よ。そんな貴族かぶれに負けるはずはない! 勝どきをあげよ!」
「えいえいおー!」
「えいえいおー!」
その声と同時に雨が降り出した。
信長は空気を読み、背後から風が吹くのを確認した。
雨は雷を伴い、霰も降るという豪雨になった。
「走れ!」
信長は常にトップを疾駆する。
彼の号令のもと、全員が雨のなか走りだした。
信長の戦略はこうだ。
先遣隊500ばかりが敵を引き付け、残りの2,000ばかりで本陣に攻めこむ。義元の首、それだけを一点集中で攻める。
雨で視界が悪く、人の形も定かにはない中、信長は桶狭間に向けて軍を進めた。
同じころ、桶狭間の谷間に本陣を作り、今川勢は雨をしのいでいた。
そして、雨が上がった瞬間。
いきなり白い靄の中から、信長軍の先陣が出現したのだ。
一瞬、今川勢は目を疑った。
「大声を出せ! 海風が我らの味方だ! 大声を出して攻めろ!」
うおおおおおおおおお・・・
怒涛の声に休んでいた今川軍本隊は慌てた。
戦いにおいて、敵に背を向けた軍は弱い。
俗に追撃戦という。
『軍事の日本史』によると、
『戦国時代の戦いで、お互い死ぬ気で戦い、いまだ勝敗が定まらぬときは、なかなか人は死なない。(中略)戦いの最中よりも、むしろ決着がついて、「やっつけたぞ、根こそぎ殺してしまえ」と、敗走する敵を後ろから斬りつける。そのとき大勢の死人がでる。これが追撃戦』とあります。
織田勢が、こつぜんと本陣にあられたとき、今川軍は休んでいた。
武器を手に取る暇もない。
慌てた彼らは無残に槍でつかれ、馬に踏み潰されていく。
先の追撃戦に近い状態が、桶狭間の谷間で起きた出来事だ。
信長は馬で疾駆する。
狙うは輿に担がれた義元ひとり。
彼の周囲を守るのは信長精鋭部隊である馬廻衆20名ほど。ヤンキー時代から彼に従い戦闘能力を磨いたツワモノどもだ。主に土豪の次男や3男で構成され、信長とは、ほぼ同年の若者たち。武勇に優れたエリート集団であった。
この桶狭間の戦いが実質的なデビュー戦である。
彼らは黒母衣衆と赤母衣衆と呼ばれた。
黒の馬廻衆10名と赤の小姓衆10名は常に競い合い手柄を取り合った。
人気ドラマ『クローズ』のヤンキーたちを思い浮かべれば感覚がつかめるだろうか。
赤と黒の衣装は戦場で目立ち、かっこよい。
彼らは常に信長に寄り添い、ともに先頭にたって戦う。
義元の輿に向かって先頭をきって走る信長と精鋭部隊。
慌てふためいた義元の親衛隊に襲いかかる。
義元は輿から降り、馬で逃走しようとするが、すでに遅し。
乱戦である。
馬廻衆の服部一忠が義元の股をさしたが、義元も名のしれた猛将である。槍で服部を刺して返り討ちにした。その瞬間、毛利良勝が体ごとぶつかって組みしき打ち取る。
首を切り取ろうとした毛利に対して、股を刺された義元は走ることもできない。
彼は撃ち下ろそうとする毛利の左手を掴むと、その左指を食いちぎった。
「死ねぇ〜〜!」
戦闘状態の人間の心理状態は異常だ。
指を食いちぎられようと、彼はそのまま、刀を降ろし義元の首を掻き切った。
槍に首級をさすと、頭上高くあげた。
「取った! 義元の首を取った!」
「勝どきじゃ〜〜」
信長軍の勝利の瞬間である。
その瞬間、遠くで戦いの行く末を見つめていた人間たちが密かに走り去っていた。
戦国大名のスパイたち、それぞれの国元へ情報を伝えに走った。
予想外の知らせに、多くの国の武将は驚嘆した。
越前(現在の福井県)朝倉義景に仕えていた明智光秀まで知らせが届いたのは、おそらく数日後であったろう。
知らせを聞いた光秀は驚愕すると同時に、斎藤道三の下にいたときに見たウツケの姿を思いだした。信長の妻となった道三の娘帰蝶とは幼馴染であり、血縁関係でもある。
「帰蝶・・・、おまえにとって、この結婚は吉とでたか、それとも・・・」
光秀は日本海側のどす暗い空をながめ、時代が動くのを感じていた。
―――――つづく
桶狭間の戦いについてのはじまりは下記からです。
*内容には事実を元にしたフィクションが含まれています。
*登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢を書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。