ターシャ・テューダーに憧れて その3
「あきらめると言ってあきらめきれない〜。それは恋のように、美しくぅ、そして儚くぅ〜〜」
「いきなり電話をかけてきたと思ったら、キテレツな声で歌うな。その上、音程がずれとる」
「あ、師匠。今日もありがとござい」
「ます。が足りん」
「ます」
「では、また」
「ちょっと待ったぁ。私の懊悩を聞かんかい」
「師匠は忙しい。仕事が待ったなしなの」
「そんな冷たい人とは思わなんだ」
ガチャン。あれ? 切れた。前日のモスキートの歓待だけでは足りんかったか。次はブロ友tonihoさんに、ジューンベリーの美味しそうな実でも送りつけてもらおうか?
ところで、何を諦めきれないかというと、ターシャ・テューダーの庭であります。
前回、ブログにも書きましたが、ターシャの庭に、昔から憧れています。疲れたときなど、特に、時がゆったりと流れるあの世界に飛んでいきたいと現実逃避したくなるのです・・・。庭だけでなく、彼女の生き方そのものへの憧れでしょうか。
19世紀頃を具現化した世界は理想そのもので、実際の19世紀とは別物でしょうが、どこか宗教のような敬虔さに満ちています。現代人が忘れた、という、およそ箸にも棒にも引っかからない使い古された言い回しを、あえてしたくなるような、そんな憧れを抱くのです。(実際のところ、あの生活は忙しい現代人以上に忙しいでしょうが)
適当で、ほどほどが良い私には、所詮、無理な世界であります。しかし、10坪か12坪くらいの庭はあります。そこに小さくとも再現できないものか・・・。
そこは寝たきり哲学者アメリッシュ。
どうせ狭いなら、もっと狭くてもいいんじゃないか。ふと、開き直ったのであります、1分前に。
「そういうことか!」
いきなり悪友の声が聞こえ、一瞬、首をすくめました。大きく頭を振ってから、その声を宇宙の彼方に消し去り、再び考えました。
そうだ、狭い場所なら、あるぞ! ターシャさんの庭を雰囲気だけなら、極小スペースで味わえる箇所が。
それがこの区画です!
ターシャの庭の片鱗を少しでも宿していると嬉しいですが。
広大なニューイングランドの土地とは程遠い、1メートル四方の場所ですが、ようは心意気でご覧ください。
(ちなみに、落葉樹ヤマボウシの下、手前左からビオラ、フィリヤブラシ、ミンティア、ガーデンアリッサム、奥のつぼみが出はじめているのは金魚草〜多年草にもかかわらず日本の気候では1年で枯れる金魚草と、NHKみんなの園芸に書かれていました。しかし、なぜか1年前に植えて、今年も花が咲きそうです。???、理由を聞かれてもわかりません。みんなの園芸、教えておくれ〜)
ブロ友音楽ソムリエなゆたさんのご推薦の音楽「stay」でも聴きながら眺めてくださいませ。
きっと、なんとなくターシャの庭に見えてくる・・・。あなたは、きっと見えてくる〜〜。
「催眠術か」
あれ? やはり声が聞こえる。
「電話をはよ、切らんか! さっきから、叫んでおるであろうが、困っとるんだ」
オットト、うっかり切るのを忘れていたようです。
「ふふふ、天罰だな」
「もう一回、学生からやり直したい」
「やり直してどうする」
「初対面のあの日の教室。前の席から声をかけてきただろうが」
「おお。そうであった。あの運命の日だな。それで?」
「ダッシュで逃げる!」