アメリッシュガーデン改

姑オババと私の物語をブログでつづり、ちいさなガーデンに・・・、な〜〜んて頑張ってます

妖しく闇に近づく薄墨色

下記作品は、現在、カクヨムコンで公開している作品の第一話です。お読みくださると、とても嬉しいです。

 

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ミステリー

妖しく闇に近づく薄墨色

 

 午前8時、オフィスに到着。見慣れた顔に、見慣れた仕事。
 デスクに着き、セキュリティ・キーを確認、番号を入力、パソコンを立ち上げる。
 この、あまりにも手慣れた一連の動作が憂鬱に感じるのは、なぜだろう……。

 かわり映えのしない一日がはじまるだけなのに。

 倉方 陽菜子は日々に退屈しながら、大手投資信託銀行の金融商品開発部で働いていた。

 朝一番のルーティン業務をする時間、部下の東雲慶輝の声が肩越しに語りかけてきた。

 

「チーフ、メール送りました。ニューヨークが、ちと不穏になってますよ」
「ええ」
「どうします?」

 

 彼は眠そうな目でほほ笑む。
 メールをチェックして、状況を確認、そして、次の指示を与える。

 やはり、ふつうの一日がはじまるのだ。

 

 

 気がつくと、すでにお昼を過ぎている。
 遅い昼休みを取るために、オフィスを出た。

 

 十一月中旬から、クリスマスイルミネーションで華やぐ丸の内。ブランド店やグルメが揃う、その欺瞞に満ちた街が、陽菜子は、わりと好きだ。別の意味では、わりと嫌いでもあるのだが。

 

 いつも、こうした矛盾を感じる。自分でも、それが不思議だと思う。

 朝に降り始めた雨は昼には止み、舗道は湿り気を帯び、雲間から出た太陽の光に輝いている。まだ点灯されていないイルミネーションが、捨て猫のように放置されていた。

 

「待って下さい」

 

 背後から声に振り返ると、東雲が駆けてくる。

 

「どうしたの?」
「お昼ですか? いつの間にか消えてらしたので」と聞いた彼の顔は紅潮していた。男にしては色白の肌に赤みが目立つ。

 唇だけでほほ笑み浮かべる彼の顔は美しい。

「ええ」
「最近できた美味しいメキシカンの店を知っています。案内させてください」
「でも」と、彼と一緒であることに逡巡した。

 東雲は顔をしかめて、「だから、チーフが好きな簡単に食べられる店ですってば」と笑った。

「そう、気が利くのね」と、軽い調子で合わせた。

 東雲は横に並ぶと、陽菜子と歩調を合わせた。

 背が高く端正な容貌の彼は、実家が裕福な理由もあり女の子たちに人気があった。東証一部上場の東雲グループ創業者の孫で、会社が数年間の契約で預かっている。将来の大切な顧客として扱うお客さま社員である。そういう理由でも女の子たちの標的だった。

 また、女の子たち。夫も女の子が好きなんだろう……。

 

 陽菜子は唇に微苦笑を浮かべる。

 要するに甘やかされた男だ。金と権力と名誉と、すべてを手にしている彼は、陽菜子とは住む世界が違う。しかし、なぜか彼を見ると、遊園地の迷子をイメージしてしまう。迷子になった男の子が途方にくれ、それでも健気に泣きもせず何かを待っている姿を。

 

「なんですか? その謎めいた笑いは」

 唇を無理に曲げて、一瞬だけ笑みを浮かべた。

「チーフを見ていると、幼い頃に面倒をみてくれた乳母を思い出します」
「乳母?」
「ああ、すみません。そういう意味ではなくて。彼女はいつもそんなふうに笑っていたんです」
「どんなふうに?」

 軽くほほ笑み、いなしていたが、はじめて彼の言葉に興味を感じた。

「その……。いつも一生懸命で、ちょっと突き放しているような、諦めているような」

 陽菜子は肩をすくめた。

「一生懸命で諦めているって、随分と矛盾している言葉ね」

 彼は育ちの良い笑顔を見せながら頭を掻いた。

「青年よ。国語の勉強が嫌いだった?」
「子ども扱いしないでください。美味しいメキシカンを教えてもらえなくなりますよ」
「それは困ったわ」

 

 彼は意味もなく顔の前で手をふり、お洒落な屋台に案内した。そして、許可も得ずにタコスを二つ注文した。

 屋外で食事をするほど若くはないし、その上に寒かった。抗議しようとすると、「トッピングは何にしますか?」と聞かれた。
「いらないわ」

 屋台前に椅子とテーブルが数脚用意されていて、他に客はいなかった。

 

「どうですか?」
「美味しいわね」

 

 寒いわと言うかわりに、そう答えた。十年前なら、寒いと言ったにちがいない。

「でしょ」と、思わずため口を聞いた彼は、その言葉を打ち消すように「人気なんですよ。だからお昼時を外さないと食べられないんです」と続けた。

 冷たい秋風が枯れ葉を散らしている。
 身体が冷え、肩をすくめると、彼は自分のコートを脱いだ。肩にかかったコートには東雲の体温が残っていた。

 

「ここ寒かったですね」
「風邪をひくわよ……」

 

 コートを返そうとすると「若いから」と言ってから、そして、失敗したという表情を浮かべる。なんとも、その表情がかわいい。たしかにこれは会社の女の子たちが放っておかないだろう。

 

「まあ、よしとしましょう。こんど仕事で失敗したときに大目に見てあげる」
「僕は失敗しません」

 

 スマホが鳴った。
 夫からのメールだった。『帰りは何時?』とだけ書いてあった。
『さあ? 遅いわ。十一時過ぎかしら』と、返信した。
 それだけだった。

 夫のメールには謝罪が含まれていた。そして、いつものように許しが言外に含まれる返信を期待していた。軽くため息を付いてスマホをバッグにしまった。
 顔を上げると、彼がいぶかしげな表情で見ていた。

 陽菜子は無意味なほほ笑みを浮かべる。

 

「チーフは」と、彼が言った。「不幸なんですね。そして、そう言っても怒らないのでしょうね」

 不幸? 
 自分が不幸だと自覚したことはない。

「どうして、怒るの?」
「いつも、そういう意味ありげな、おうむ返しが得意だ」と、彼は首を振った。
「さあ」と、陽菜子は立ち上がった。「もう時間だわ。仕事が待っている。帰りましょう」

 席を立つと、なぜか、彼のほうが傷ついた表情を浮かべた。

 

 

 その日は帰宅時間が過ぎても会社に残った。
 書類がうず高く積まれた窓の隙間から、クリスマスイルミネーションが見えた。部下達は帰したので、課で残っているのは陽菜子だけだった。節電のため周囲の電灯は消えている。

 

 パソコンの電源を落として、オフィスを後にした。
 正面玄関は薄暗く、この時間では鍵がおりているだろう。警備員の詰所を通って裏口にまわろうと考えた。

 出口まで来ると、煙草の匂いが漂ってきた。

 まだ煙草を吸う人がいることに驚いて、たぶん夫だろうと気がついた。
 裏口を出ると、やはり、そこに彼がいた。
 足元に吸い殻が落ちている。ゴミになるのにと言えば彼がイライラするとわかっていた。

 

「帰ろう」

 

 夫が顔を背けたまま言った。
 彼は決して謝らない。女と一緒のところを見られてもだ。複雑な家庭環境で子ども時代を過ごした夫は、謝罪が最も苦手だった。謝罪ではなく諧謔を学ぶことで幼い時分をやり過ごしてきた男だ。

 

「ええ」と、答えた。

 

 それから肩をすくめて「もう冬ね」とだけ呟いた。春は来ないかもしれないと漠然と感じた。

 人通りの途絶えた舗道にハイヒールの音が響く。
 夫との身長差は五センチほどで、ヒールによっては彼より背が高くなる。だから夫と歩く時は低めの靴を履いたが、今日はルブタンで、生憎とヒールが高い。

 

 曇り空で星は見えなかった。

 薄暗い路地から本通りに出ても人影はなかった。少し偏頭痛がする……。
 駅に向かいながら、ぼんやりしていたので、彼が隣を歩いていないことに、しばらく気付かなかった。

 

 背後を振り返った。

 

 十メートルほど後、夫は奇妙な表情をして立ち止まっていた。驚愕したような不自然な顔つきだった。

 それから、ゆっくりと彼の足が折れて、その場で、ひざ立ちになった。

 助けを求めるように差し出された手を無言で見つめた。その手を取りたくないと思う。それから、異常に気づいた。

 

 頭に浮かんだ最初の言葉は心臓発作だった。
 陽菜子が走りよるのと、彼がその場に倒れるのは、ほぼ同時だ。ということは、背後を振り返ってから走って側に寄るまでの時間は短かったのだ。しかし、とても長い距離に思えた。

 

 彼を助け起こすと胸骨の間に違和感がある。それに触れて、すぐにナイフだと理解した。

「あなた」と、声が掠れた。

 慌ててバッグから携帯を取り出そうとして、舗道に中身を撒き散らしていた。
 後方から靴音がした。

 

「どうしたんですか?」

 

 見知らぬ中年の男の声だ。
 彼を見つめ「救急車を……。救急車を呼んで」と叫んだ。
 夫の血がコートを汚して垂れ、舗道を赤く染めていくのを茫然と眺めた。

 

「あなた、あなた。大丈夫?」

 彼は苦しそうな顔で陽菜子を見ると「……な」と呟いた。

「そうです。男の人が……。ここは、えっと、丸の内のビルの近くで……、なんのビル? 住所は……」

 

 見知らぬ男が携帯で電話をしていた。すぐにサイレンが聞こえたが、それは救急車ではなくパトカーだった。

 

(つづきは下記に書いております。お読みくださると、とても嬉しいです)

 

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