アメリッシュガーデン改

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【明智光秀の謎|信長編1】天才は教育と環境で育てることができるのか。(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)

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ドラマ『信長協奏曲』の小栗旬さん。最高に面白かった。

 

白色人種、黄色人種、黒色人種、褐色人種・・・

遺伝的には、ほとんど違いはないのですが、

 

その中に、まれに天才という人種が混じっています。

それを中国では麒麟(きりん)といい、幼少から秀でた才能のある子を麒麟児と呼びます。

 

麒麟は不幸です。

 

凡人には見えないものを見、知らないものを知覚するのが天才だからです。

彼らにとっては自明の理も、それ以外の人にとっては全くの理解不能。それが天才というものです。

 

もう一度、別の表現で書いておきます。

天才は不幸です。

 

だから、私は自分が凡人であることにほっとして微笑を浮かべ、運悪く天才として生まれてしまった男に、迷信じみた恐れと悲しみを覚えているのです。

 

 織田信長、彼はとびきりのアホで、天才のカケラもないガキでした

 

ーーーーーー

 

男にしては白く長い指がひらりと動いて、おいでおいでというように誘っている。

 

誰だ。

そう思った瞬間、目覚めていた。

 

元来、夢を見ることは珍しい。

 

日中、激しく野山で暴れまわり暗くなったら床につく。

横になった瞬間、死んだように眠りこけていた。

夢など見るはずもない。

 

織田信長、幼少時の名前を吉法師は、障子(しょうじ)に映る男の姿に眉間のしわを寄せた。

 

「誰だ!」

「いかがなされた、うなされておられたようで」

 

平手政秀か・・・、

めんどうなジイさんだと思いながらポリポリと尻をかいた。

 

「うなされてはおらん。寝ながら、でっかい屁をこいた」

「さ、さようでございますか」

 

周囲のものに大ウツケ(大バカ)と呼ばれたガキ大将時代の信長。

織田家の嫡男で、将来の家督をつぐ運命であったが、家臣の多くが弟の信行にと推している。

 

それほどのウツケであったということだ。

 

しかし、そんな配下の声、信長にとって雑音でしかなく、人は人、自分は自分であった。

 

彼の才能をおぼろげながら見抜いていたのは実父のみである。

 

家臣を含め周囲の評判は根っからのアホ、本物の大ウツケ、だ。

ここまで評判が悪いと、いっそ痛快である。

 

だが、殿から教育係を仰せつかった平手にとって、痛快などというタワゴトじゃ済まされない。冷や汗が連続の日々、誠に扱いづらい若君であって、障子の向こう側で若君の様子をさぐりながら、ため息がもれた。

 

一方、寝床のうえで信長はうっすらと笑った。

平手のジイさんが苦虫を噛み潰したような顔でいるにちがいない。そこが面白い。さらに困らせてやろうかと笑ったのだ。

 

ジジイが嫌いという訳ではない。

ただ細かいことをあまりに気にし過ぎてうっとおしいのだ。

平手の言い分は至極もっともだ。

 

「嫡子として、将来は殿のあとをつぐ身です。どうか身なりだけでも整えてくだされ」

 

信長はかっこうなど全くもって興味がない。

動きやすく機能的。それが彼にとっての衣服である。

 

故に、ボロボロのユカタを着流して縄で結ぶという、そこらへんの貧しい百姓の子と同じ姿をしている。

 

勤勉で教養溢れる平手にとっては信じられない所業であった。

 

―――――

 

信長は本当に大ウツケだったのか

 

信長には幼少時より、当時のほとんど人間が思いもしない野望があったと思います。いえ、野望というより、世界を俯瞰(ふかん)する天才的な野生の目を持っていたというべきかもしれません。

 

私たちの考える常識とは興味深いものです。

常識は時代や場所によって変化する、あやふやなものです。

 

例えをするなら、男女平等が現代に住むわたしたちの常識です。

この歴史は案外と短く、戦後に始まったばかりでした。

 

実は日本は母系社会で、

家庭では女性が金を握り、夫がこずかいをもらっています。

なるほど、社会では男の力が優位かもしれませんが、家庭では女です。

この常識も最近では危うくなってきていますが。

 

果たして、今後、家庭では、どちらの性が金を握るのか、実は金を持った者こそ真の権力者なのです。

 

これを大きく広げますと、歴史において権力を持つ者は金を握ったものでした。この場合の金は、ゴールドつまりキンです。

 

信長は美濃のマムシと呼ばれた斎藤道三という商売人の娘を嫁にもらい、このマムシの金が後の天下取りに大いに力を発揮したのです。

 

装備を整え兵に食事を与える。戦争には莫大な金が必要です。

 

マムシの娘の実家は金鉱山を持ちキンの採掘をしていました。信長は結婚により、この金鉱山から軍資金を得ることを可能にしたのです。

 

このマムシの話は、また別の機会に。

今日は子ども時代の信長に焦点をあててます。

 

信長が大うつけと呼ばれたのは、身分の上下など気にもせず、百姓の小倅たちを仲間に、馬を駆り、山に登り、喧嘩をする毎日だからです。

 

当時としては上背があり細みで、痩せマッチョの信長、腕っ節だけは強かった。1対1の喧嘩で負けることがない。

 

彼は常に合理的に計算していました。

その合理性を理解しているものはいない。野山を駆け巡り鷹の目で地域を観察しているなど、誰が想像したでしょうか。

 

当時の常識で城におさまり、蹴鞠(けまり)をして詩歌を読むという、武家としてのたしなみなど、さらに言えば典雅で貴族かぶれの風習など眼中になかったのです。

 

このトンデモない若君様の教育係を、平手政秀が押し付けられた・・・

 

平手は信長の父に仕え、茶道や和歌に通じた文化人でありました。今の感覚でいえば、中小企業織田株式会社のエリート社員です。

 

長年、社長に仕えたマジメ社員で、その功が実って取締役に名を連ねるといった年齢的に言えば退職間近の男でした。

 

一方の信長は、今でいう茶髪ヤンキーのガキ。

実際のところ、やることなすことアホにしか見えず、我が道を通して、やんちゃの限りを尽くすガキです。

 

つまり、知的で学者肌の教育係が、やる気なしのヤンキーガキ大将に勉強を教えようとして手を焼いたわけで、その結果、不幸な出来事が勃発しました。

 

信長の父が亡くなった1552年、織田家中では不穏な空気が漂っていました。あのクソガキの代になったら家は潰れる、家臣の誰もが思っていたことです。

 

嫡男で大ウツケの信長を廃して、真面目で優秀でいい子ちゃんの弟、信之を次の跡取りとする動きが表面化しようとしていました。こうした動きに平手は、絶望しかなかったようです。

 

「ほら、言ったでしょう」という気持ち、親ならわかる。平手の気持ちは、まさにそれでした。

 

なにせ、信長、家中を逆なでするような言動には事欠かない。

信長の家臣太田牛一が書き残している内容をもとに、その様子を描きますと、

 

ーーーーーー

 

信長、16歳。

 

1552年、40代前半で父親である織田信秀が亡くなった。

尾張の虎」と称され恐れられた武将で、のちに信長の天下統一の基盤を作った人物である。

 

家臣の尊敬を一身に集めたカリスマが亡くなった後、織田家の行く末に、家臣たちは一様に鎮痛な面持ちで葬儀に出席していた。

 

あの大うつけの配下になるなど、いかにも忍びない。

 

時は100年の戦乱がつづく戦国の世である。生まれたときから戦さばかり目にしてきた家臣たち。平時ではない。多少のバカ殿でも周囲が支えればなんとかなるような悠長な時代ではなかった。生死の崖っぷちで生きているのだ。

 

線香の匂いがまし、静かな読経がつづいていた。

 

悲哀と将来の不安を感じる配下のなかで、ひとり平手は慌てていた。

 

内心の動揺が顔に現れ冷たい汗を垂らしている。

殿が亡くなったという理由ではない。

 

跡取りである信長が葬儀にこないのだ。

家臣団の上座、そこには土田御前(信長の母)と弟信行が端正な佇まいで正座している。

 

いたたまれない思いを隠すことさえできぬほど、平手は憔悴していた。

 

(若君、どこに)

 

心中で呼びかける。が、信長がくる気配はない。このままでは家督は弟の信行にと家中の誰もが考えるだろう、いや、すでに考えている。

 

(若君! どうか早くお戻りを)

 

と、廊下から、ドンドンという大きな足音が聞こえてきた。

 

(やっと来たか)と、心中で思ったのもつかの間、その姿に平手は思わず体の力が抜けた。へなへなと萎んでいく自分を感じた。

 

庭に面した障子の向こう側にいきなり現れたのは、まさしく信長だ。

その姿、袴姿どころか、乱れた髪を縄でざっくりと結び、浴衣の片肌を脱いだ大バカ野郎である。

 

平手の腰が思わず上がった。

 

「若君、そのお姿は・・・」

こぼれた声がしぼんでいく。

 

信長、汚れた手の甲で鼻をこすると、正装して座る重鎮たちの間をどしどしと大股で仏前に進んだ。仰天する家臣団の誰も止めることができない。

誰もが、あっけに取られている。

 

驚いた坊主が脇に体をよせた。

 

それを冷たい目でチラっとみると、いきなり抹香を右手でつかみ、止める間もなく、信長は位牌に向かって力強く投げつけた。

 

飛び散った粉が平手の顔に張り付く。

 

居並んだ家臣たちは、言葉もなく、その所業に呆気にとられ非難の視線を信長ではなく、平手に向けた。するどく尖った針のような視線。それは平手の心に何千本も突き刺る針だった。

 

死にたい・・・。いや、死んで詫びるしか亡き殿に合わせる顔がない。

平手の心には、もうそれしか残っていなかった。

 

―――――

 

葬儀のあと、この教育係の平手がとった手段、それが切腹でした。これにはヤンキー信長も悲しんだようで、のちに平手のために菩提寺を立てています。

  

さて、こうして信長が尾張の大ウツケの名前を欲しいままにしていた当時、明智光秀の所在は不明でした。

 

幼少期の記録がなく、おそらく貧しく身分の低い家の子として生まれたのでしょう。

 

生まれた場所は岐阜県土岐氏の系列に名を連ねる下級武士の家柄で、信長の義父となった斎藤道三の妻とは縁戚関係にあったらしい。

 

一方の信長は愛知県の西部で生まれたとされています。これには諸説ありますが、おそらく現代の稲沢市にある勝幡城(しょばたじょう)だというのが定説になってきています。

 

この二人が出会うのは、まだ、先のお話です。

 

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信長と光秀の生誕の地

赤線の信長が生まれたとされる愛知県の勝幡城

青線、光秀が生まれただろう岐阜県

 

 

ー つづく ー

 

✨   ✨   ✨

 

*お詫び*

大変申し訳ないのですが、大抵の記事を1日で書き、そして、校正していますので、ミスが結構な確率であると思います。もしありましたらお教えくださいませ。すぐ訂正いたします。

歴史的な部分については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。

参考資料:#『信長公記太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。

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