小説やエッセイの書き方
目 次
「小説を書く時、最後を決めてから書くのですか?」
『はてなブログ』で、こうした質問をいただくことが何度かありました。
小説に限らず、エッセイ、雑文を書くことに興味を持つ方にとって、興味深い課題なのだろうと思います。
私のような者が小説を書くなんて全くおこがましく、ちょっと恥ずかしいのですが。ご質問についての解答です。どうかゆる〜〜く読んでください。
さて、何かを書く前に、私はまず二つのことを大まかに決めます。
おおよそのテーマと誰の目線かです。
私は最初に大テーマを決めてから書きはじめます。それは、小説でもエッセイでも雑文でも同じです。
このテーマを考える、私には案外大事なのです。とくにプロットを考えずに書き始めるしかできない人間にはテーマがないとブレブレになってしまいます。
さらに長編の場合、大テーマを決めないと途中で物語が妙な方向へいってしまいます。
大げさなものではないのですが。
例えば、現在「カクヨム」に連載している『明智光秀によろしく』は、昨年、はてなブログで書いていたものをリライトして大幅に加筆しているものです。
この物語を書き始める前、テーマを次のように考えたのです。
「私たちは歴史の勝者側の支配者階級だけが残したものしか知らない。敗者からみれば、また庶民から見れば、別の視点がある」でした。
昨年の夏、『明智光秀』を取り上げたのは、彼が歴史上、誰もが知る敗者であり悪役だからです。
ちょうど、NHK大河ドラマで次年度に明智光秀を取り上げるなら、ちょうどいい素材だと思ったのです。
私の方法が一般的かどうかわかりませんが、テーマを決め、次に考えるのは誰の目線で物語を書くかです。
そこで、私とオババが戦国時代に転生して、当時の庶民目線から光秀と、その時代をみることで、歴史の事実を考えてみたいと思ったのです。
それを書いたのが、現在連載中の「明智光秀によろしく」です。
成功できたかどうか、というよりも、まだ、改稿中なのですが、ラストも変更する予定です。
書き始めの頃は「本能寺の変」まで書こうと思いましたが、途中で息切れして、一旦、最終回を迎えています。
さて、今回のブログを書くにあたってのテーマと
1 テーマ
「プロットや構成を先に決めて書くか、あるいは、決めずに書くか?」です。
2 目線
目線は私
こんなふうに簡単に考え、あとは好き勝手に書いて、その後の校正を数限りなく繰り返します。
今回の文章に関していえば、昨日、書き。今、校正中です。この校正、現在13時の段階で3回目です。
ブログはわりと楽な気分で書いてますので、校正もこのくらいです。
プロット、ストーリー、構成
小説に限らず、エッセイ、雑文あるいは新聞記事に至るまで。おおよそ「プロット、あらすじ、構成」の3つが基幹をなしていると思います。
この中のひとつ、最初にすべきこと、プロットについてです。
プロットとは書き手に、つまり書く自分に対して、物語の設計図を作ることです。物語の起承転結を明確にすることでプロットができます。
これを丁寧に決める人もいれば、プロットを決めずに書きはじめる人もいます。今回の内容は、その、どちらがいいか悪いかが論点ではありません。これは書く人の、それぞれのスタイルにすぎません。
小説の書き方
さて、今、はてなブログから浮気している小説サイト「カクヨム」。
「カクヨム」とは、出版社KADOKAWAグループが運営しているサイトで、プロの物書きからアマチュアまで玉石混淆(ぎょくせきこんこう)で書き手が存在する小説サイトです。
さて、プロット問題です。
あなたは、小説、エッセイ、雑文。
書き始めるとき、最初にすべてのプロットを決めて書き始めますか?
それとも、全くなにも指針もなく公海に乗り出しますか?
作家の2つのタイプ
プロットを決めてから書くタイプ
最後まできっちりプロットを決め、構成をして、起承転結を作る。
もちろん、途中で変わることもあるでしょうが、概ね構成通りに最後まで書いていくタイプです。
芥川龍之介氏などは、まさにその典型だと考えます。
彼は書いています。
「文芸家たらんとする中学生、すべからく数学を学ぶ事勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿ること迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ」
彼は数学的理論も動員して小説を書いているようです。
海外に目を向けると、
世界的なベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の作家ダン・ブラウンは、物語のプロットを完璧につくりあげるまでは全く書かないそうです。これまたすごいです。あの長編を最後まで作り上げてから文字にする。
私にはできません。
プロットを決めずに書くタイプ
もう一方のタイプは村上春樹氏が代表でしょう。
村上春樹氏は1日の文字数を何万字に決め、ただ、ひたすら書き続ける。プロットもなにもなく、思いつくままに書き散らす。その後、初稿ができあがってから、大幅に改稿をしていくのだそうです。
時々、作家の方がキャラが自由に動くということを書いています。まさに、その通りの書き方が村上文学です。
おそらく、村上氏は初稿から改稿に改稿を重ね、気の遠くなるような作業を経て、あのリリカルで素敵な文章を生んでいるのでしょう。
海外に目を向けてみると、「華麗なるギャツビー」を書いたフィッツジェラルドなど、この手のタイプじゃないかと読みながら思いました。
これはあくまで私の推論にすぎないのですが、作家にも、よくいう理系タイプと文系タイプがいると思います。
「プロット決め」の作家は理系寄り、そうじゃないタイプは文系寄りというか。ただし、これ厳密に分類できるものでもありませんが。
作家は人です。ロボットではないからです。
プロットを決めて書く人も、時に思うままにプロットから外れることもあるでしょうし、逆もしかりです。
昔、あるフランス人作家がこう書いていたのを読んだことがあります。
「キャラがかってに動く」と。
それを読んで、私、アホなって思いました。
書いてるのはあなた。なんで勝手にキャラが動くのよって。
しかし、実際に自分で書いてみて、その意味がわかりました。
私は詳細なプロットを基礎に構成して書くことができません。ともかく、書きます。途中でかってにキャラが動きます。それを文字にしていく作業が多いのです。
こうしたタイプは最初に書き始めたときと意図せぬ展開になり、時に物語が破綻することもあります。
だからこそ、私にとって最初に書いたテーマは大事です。テーマがないと限りなくブレます。
今、新しく書きはじめた小説は「環境破壊」と「親子の愛情」を大テーマにしています。
主人公も決まっています。シングルマザーと子。ただ、この母がちょっと曲者でという設定で、母子に血の繋がりはありません。
さて、私は緻密にプロットを決めようとすると、いつまでたっても書けないのです。
頭のなかで、最初のプロットが空回りして、次に進めないのです。
「1 母がいて、2、子どもがいて、そして、何かが起きる」
なにが? そこで止まってしまいます。
私が話したことのある、ある人気作家の方は、こう言ってらした。
「寝てる間にね、物語が夢で出てくる。それを起きて、毎朝、忘れないうちに紙に描写しているんだ」と。
もう、神域です。
私、夢を書いたら物語にならない。
それとは別に、眠る直前に、なぜか素敵なアイディアが浮かぶことがよくあります。しかし、困ったことに朝目覚めると、全てすっからかんに忘れているのです。
「あれは、なんだったか」
どうしても思い出せない。
そうやって、日の目をみない傑作アイディアをどれほど夜に落としてきたか。
だから、思った。これはまずいと。
で、寝室のベッドの横にメモ用紙を置いておいたのです。
浮かんだアイディアをメモするためです。
朝、そのメモを読んで、これで世紀の傑作が書けると喜びました。
ぬか喜びってやつでした。
メモをみた。
そこには、ぐにゃぐにゃに曲がった線がひたすら続いていた。
魔法でもかかったのか。
これは、呪いか。
というわけで、いまだに世紀の傑作を書けない私です。
とりあえず。いつか傑作が書けるという夢に向かって、「ひとりGo to 夢キャンペーン」真っ最中です。
さて、カクヨムに書いている作品は、昨年、ブログに書いた内容が多いのですが、カクヨムを二週間つづけて、新作も書けました。
今回、カクヨムにアップしたものは、下記のミステリー短編です。
とても短い文章で、もしお読みいただければ、本当に嬉しいです。
それから、最後に
いつも応援していただいて本当に本当にありがとうございます。
特に、毎回、カクヨムに小説をアップするたびにコメント、応援、レビューまで書いていただいている「はてな」のお仲間。
私にとっては古巣で見つけた身内のような方々だと、心の奥にそっと置いております。本当に暖かい気持ちになります。
ああ、親しい身内の方が、孤軍奮闘のカクヨムまで来てくれた。そして、応援してくれる。頑張らなきゃなって心から思います。
本当にありがとうございます!!!
感謝にたえません。
アメ、頑張ります!!!