目 次
今回の『麒麟がくる』では、織田信長が天下にその名を轟かせ、天下統一の第一歩となった戦を放映しました。
さて、それは実際のところ、どんな戦いであったのか。
1560年未明、桶狭間への出撃
織田信長という男は若い頃から野生の勘を持っていたと思う。戦いにおいて常に時間を支配する嗅覚。スピードを最大限に活用して彼は圧倒的に不利な戦いを覆す。
時間を支配することで、彼は優位を保つことを動物的勘で知っていたようだ。
永禄3年5月19日。現代の暦では1560年6月12日。
今川が動いたと聞き、信長はガバっと寝所で起き上がった。
梅雨に入ったばかりの早朝、26歳の若い信長は、ここが生きるか死ぬか、決死の戦いと悟っていた。
「馬引けっ!」
彼はそう低く命ずると、障子を乱暴に開けた。
早朝、午前3時。
「ものども出陣じゃ! 皆に伝令、出陣! 遅れるな!」
織田家臣のもとへ、それぞれ急の伝令が走った。
前夜、眠れない夜を過ごしたもの、酒をくらってやけくそで大いびきをかいていたもの、全員が驚いた。
午前3時過ぎて、どの重臣の家もにわかに明かりがつき、馬に鞍をつける。
午前4時前、信長が屋敷を出た。
追いついてくる家臣は小姓の5名のみ。
「急げ! 急ぐのだ!」
信長は熱田神宮まで馬を走らせる。
途中、なんども馬に円を描かせ、追いついてくる兵を待った。
信長の戦法は常にそうだ。大将が最初に走り出す。そうして部下たちを鼓舞する。彼は決して本陣内で座して戦況をみない。自らが率先して動く。
桶狭間までの途中の神社各所で、信長が戦勝祈願をしたと現代に記録が残っている。
たとえば名古屋市西区にある榎白山神社にも、戦勝祈願で立ち寄っている。
戦勝祈願をした神社に残った記録
その後、日置神社など数カ所の神社で戦勝祈願をして、信長は熱田まで馬を駆った。おそらく、軍が揃うのを待つためでもあったろうが、それ以上に彼の必死の感情が伺いしれる。
アドレナリンが沸き立ち、身体は熱におかされ、武者震いをしながら、味方の誰も勝利はないと思った戦いに向かう。途中、「勝つ!」と念じていたことだろう。
ここで負ければ後はない。
信長の背後に付き従う兵は5人が10人になり、10人が100人になり、やがて1000人ほどになった。潮時だと彼は念じ、熱田神宮に向けて疾走した。
駆けに駆けた先に、朝陽はさしていたのだろうか。
信長の本拠地清洲城から熱田神宮までは現在の車道を使って、おおよそ15キロ。午前8時頃に到着したとされる。その後、さまざまな方面から信長軍が集結する。
その数、およそ2000人ほど。
対する今川勢は30,000人。
勝つ!
15倍の兵力に、彼は勝とうとしていた。
2000の軍は熱田神宮を出発して、午後10時には鳴海城を囲む善照寺砦に入った。
鳴海城の東側に鷲巣砦、大高城があった。
「お館様」
今川が間者を放っているように、織田も多くの間者を放っている。
落ちた城からも伝令がくる。
「話せ」
「丸根砦、陥落!」
将軍たちの間からため息が漏れたが、誰もなにも言わない。
「佐久間盛重どの500名のものと城外にうってでて、討ち死」
すぐに次の伝令が到着する。
「鷲巣砦では籠城を試みましたが、陥落。飯尾貞宗どの、織田秀敏どの討ち死」
出陣を待つ重臣たちの顔は沈んだ。
信長の顔色に変化はない、ただ目を半眼に黙っている。
凍りつくような沈黙が支配していた。
「大高城周辺、今川軍が制圧」
届く伝令は悪いものばかりである。
午後10時。
「よし!」
と、低く信長は命じた。
「出陣じゃ!」
信長の声は甲高いが、命を伝えるとき、その声は遠くまで通る。
信長は馬にまたがった。そして、馬上から大音量で怒鳴ったのだ。
「遅れるな! 我らの勝利の日ぞ! 勝どきをあげよ!」
全員が気負い立つしかなかった。
馬上の信長は凛々しい。
鬼神のような迫力がある。
「よいか! 殺されるようなやつはワシが殺す! この戦、勝機ができた」
従う兵は信長の言葉に半信半疑。
しかし、彼の声は大きく説得力がある。
大音声で喝を入れ、すぐさま馬の首を東南方向へ向けた。
その先には中島砦があった。
今川軍が本陣を置く沓掛城下
信長に密命を帯びた間者の一人が沓掛にいた。
今川が沓掛城を出て本陣をおく場所をさぐる。そのスパイとして放たれた一人であった。
三河に出立前、信長がスパイ数名に自ら指示を出した。
殿自らであって、下級層の彼らは一様に身が引き締まり震えた。
「よいか。今川義元は城を出て必ず本陣を立てる。その場所が重要じゃ。必ず探し出して知らせに参れ」
「お館様、必ずや」
「行け!」
「は!」
織田信長の命令
沓掛城下の今川兵たちは足軽から上の者まで、全戦全勝の戦勝に浮かれていた。
桶狭間の戦い当日、朝から蒸し暑い日になった。
丸根砦、鷲巣砦陥落の報を聞き、義元が輿(こし:当時の貴人がのる乗り物)に担がれて城を出てきた。
それを確認して間者は走った。
信長がもっとも欲しい情報である、なんとしても伝え褒美が欲しい。その一心で彼は走った。
6月の梅雨時、名古屋地方の天候は辛い。
湿気が多く気温は30度近く、まるでサウナのような蒸し暑さだ。
途中まで森のなかを今川軍に並走して、間者は彼らを追い越した。
彼の先には信長がいる。
この戦い、圧倒的な不利な状況で勝つには本陣の義元に襲いかかるしか勝機はない。殿のことだ、必ずそう見ているからこそ、動向を知らせよと言ったのだ。
汗が滝のように落ちるのもかまわず、彼は走った。
視界がブレる。腕で拭うと水分が塊になって飛び散った。
息が荒くなり、胸が苦しい。
彼の向かう方向、そこに信長がいる。
彼は走った。無心になって走った。
お昼過ぎ、倒れこむように信長が陣をはる中島砦に到着した。
「お・・、お、お館様は」
「そなたは」
「で、伝令じゃ」
「来い!」
抱きかかえられるように陣内に入ると、信長がいた。
「の、信長さま。義元、沓掛城を出て桶狭間方面から、大高あたりに兵をすすめております、おそらく本陣を置くのは、桶狭間の谷間」
それを聞いた信長、空を見上げた。
黒く不吉な雲が走り、遠雷が聞こえてくる。
南の海からは強い風が吹き、木々を揺らした。
先ほどまで晴れていたのに、雨になりそうだった。
この地で子ども時代から野を駆け、山を駆けてきた信長である。
気候の変動、空気の色、道の様子、すべてが彼の体に染み込んでいる。
地図をみるまでもなく、彼は今川が本陣を張る場所を感じることができた。
「お館様」
「出陣じゃ! 兵に伝えよ」
言葉と同時に彼は早歩きで馬に向かう。
子ども時代から彼に付き従う馬廻り隊が、その後ろにつき従う。
両手を土につけ、息を整えていた間者の横に来たとき、彼は一言ねぎらった。
「でかした」
間者は、その場に平伏した。
騎乗した信長、緊張する軍兵たち
信長は言った。
その声は2000人ばかりの兵の隅々まで届く。
「ものども、聞け! これから嵐がくる。この嵐は我らを隠す勝利への道だ。運は我にあり。敵がかかってくれば引け、退けば押せ、個々の巧名争いをするな、常に仲間とともに行動せよ」
兵は応えた。
「おおう!」
「われらの強さを見せつけようぞ。義元は輿にのって酒を飲んでおる。笑え! わが兵よ。そんな貴族かぶれに負けるはずはない! 勝どきをあげよ!」
「えいえいおー!」
「えいえいおー!」
その声と同時に雨が降り出した。
信長は空気を読み、背後から風が吹くのを確認した。
雨は雷を伴い、霰も降るという豪雨になった。
「走れ!」
信長は常にトップを疾駆する。
彼の号令のもと、全員が雨のなか走りだした。
信長の戦略はこうだ。
先遣隊500ばかりが敵を引き付け、残りの2,000ばかりで本陣に攻めこむ。義元の首、それだけを一点集中で攻める。
雨で視界が悪く、人の形も定かにはない中、信長は桶狭間に向けて軍を進めた。
同じ頃、桶狭間の谷間に本陣をもった今川勢は、ふいの雨をしのいで休んでいた。
雨が上がった瞬間。
いきなり白い靄の中から、信長軍の先陣が出現した。
一瞬、今川勢は目を疑った。
「大声を出せ! 海風が我らの味方だ! 大声を出して攻めろ!」
うおおおおおおおおお・・・
怒涛の声に休んでいた今川軍本隊は慌てた。
戦いにおいて、敵に背を向けた軍は弱い。
俗に追撃戦という。
『軍事の日本史』本郷和人著によると、
『戦国時代の戦いで、お互い死ぬ気で戦い、いまだ勝敗が定まらぬときは、なかなか人は死なない。(中略)戦いの最中よりも、むしろ決着がついて、「やっつけたぞ、根こそぎ殺してしまえ」と、敗走する敵を後ろから斬りつける。そのとき大勢の死人がでる。これが追撃戦』とある。
織田勢が、こつぜんと本陣にあられたとき、今川軍は休んでいた。
武器を手に取る暇もない。
慌てた彼らは無残に槍でつかれ、馬に踏み潰されていく。
先の追撃戦に近い状態が、桶狭間の谷間で起きた出来事だ。
信長は馬で疾駆する。
狙うは輿に担がれた義元ひとり。
信長のエリート集団「赤母衣衆」
信長の周囲を守るのは精鋭部隊である馬廻衆20名ほど。
彼らは黒母衣衆と赤母衣衆と呼ばれた。
ヤンキー時代から彼に従い戦闘能力を磨いたツワモノどもだ。主に土豪の次男や3男で構成され、信長とは、ほぼ同年の若者たち。武勇に優れたエリート集団で、この桶狭間の戦いが実質的なデビュー戦である。
黒の馬廻衆10名と赤の小姓衆10名は常に競い合い手柄を取り合った。
彼らは常に信長に寄り添い、ともに先頭にたって戦う。
義元の輿に向かって先頭をきって走る信長と精鋭部隊。
慌てふためいた義元の親衛隊に襲いかかる。
義元は輿から降り、馬で逃走しようとするが、すでに遅し。
乱戦である。
馬廻衆の服部一忠が義元の股をさしたが、義元も名のしれた猛将である。槍で服部を刺して返り討ちにした。その瞬間、毛利良勝が体ごとぶつかって組みしき打ち取る。
首を切り取ろうとした毛利に対して、股を刺された義元は走ることもできない。
彼は撃ち下ろそうとする毛利の左手を掴むと、その左指を食いちぎった。
「死ねぇ〜〜!」
戦闘状態の人間の心理状態は異常だ。
指を食いちぎられようと、彼はそのまま、刀を降ろし義元の首を掻き切った。
槍に首級をさすと、頭上高くあげた。
「取った! 義元の首を取った!」
「勝どきじゃ〜〜」
信長軍の勝利の瞬間である。
「今川義元の首、討ち取ったり!」
信長は血に染まった右手を天に挙げると、高らかに宣言した!
「勝利じゃ!! 者ども、勝利じゃ。勝どきをあげよ。われら勝利よ!!」
今川義元は家督を譲ってはいたが、しかし、実質的には今川全体を仕切る当主でありカリスマ大将であった。その義元の首を槍に掲げた織田軍。
今川軍の戦意は、風船がはじけるように急速にしぼんだ。
完全な勝ち戦と浮かれていた今川軍の落胆は底なし沼だ。
悪夢か、悪夢なのか・・・、それまで信じていた土台がボロボロと足元から崩れていく悪夢。
もともと兵士ではなく、戦のたびに徴兵される一般の雑兵にいたっては逃げることしか考えない。
大将首を取られたと聞けば、あっという間に敗走していく。
武将が「逃げるな!」と声を枯らしても無益なことであって、その武将自身も義元の死に涙を浮かべていた。
勢いづいた織田勢は敗走する今川軍を追撃した。
と、同時に、遠くで戦いの行く末を見つめていた人間たちが密かに走り去っていた。
戦国大名のスパイたちだ。それぞれの国元へ情報を伝えに走る。
予想外の知らせに、多くの国の武将は驚嘆した。
越前(現在の福井県)朝倉義景に仕えていた明智光秀まで知らせが届いたのは、おそらく数日後であったろう。
知らせを聞いた光秀は驚愕すると同時に、斎藤道三の下にいたときに見たウツケの姿を思いだした。信長の妻となった道三の娘帰蝶とは幼馴染であり、血縁関係にもある。
「帰蝶・・・、おまえにとって、この結婚は吉とでたか、それとも・・・」
光秀は日本海側のどす暗い空をながめ、時代が動くのを感じていたことだろう。
前回のお話
「桶狭間の戦い」は2回に分けて書いてます。前回の話は下記になります。前回は桶狭間までに行くまでの織田信長を中心に書いております。