
目 次
プロローグ
もし、このシリーズ最後の物語を読む方々が思っていた内容とは違っても、それを許して欲しいと思う。まあ、この先を読まれる方々にとって、それはどうしようもないことだろうけど。
1573年。小谷城の戦いで織田信長に攻められ、城から逃げてきたお市の方がいた。彼女に向かい刀を抜いた久兵衛とヨシ。二人は私にとって大事な仲間のはずだった。私たちはお市の方を救うためにこの場に来たはずで、だから久兵衛とヨシの殺意に驚いた。
結果、二人を止めに入った弥助がヨシに刺されるという悲劇を生んだ。
最初から予期された未来など、退屈でしょうがないが、私は未来を予期していたかった。
弥助の命と久兵衛の秘密
霧のような雨が降っていた。
「弥助!」
弥助は久兵衛の腕のなかでかすれた声をあげた。
「お市さ・・ま、は」
「大丈夫だよ。秀吉とともに安全なところに去った」
「よかっ・・・」と言いかけて、彼は咳き込んだ。
ゲフとも、ゴボっとも、奇妙な音とともに唾液の混じった血液を唇から吐き出した。
「話すな、弥助」
私は青ざめた弥助の顔を見て、久兵衛に視線を移し、オババを探した。
「オババ、弥助が」
「アメ、小刀を抜くのか」
オババが鎮痛な声をあげた。
この不衛生な環境で、泥と血と汗にまみれた弥助の顔に、糸のような細い雨が降りそそいでいる。
今、いたずらに小刀を抜けば出血多量で苦しみ抜いて死ぬだろう。それはいろんな海外ドラマでみたことがある。だてにNetflixやHuluと契約はしてないから。そこんとこは筋金入りだ。
そう、こんな薄っぺらな知識に今はすがるしかない状況が悲しい。
ヨシは体ごと弥助にぶつかった。
左脇腹から入った刃は斜め下から上に向かって、深く入り込んでいる。
あの瞬間、私が見た小刀の刃渡り、おおよそ30センチちょっとか。
弥助の左脇から肋骨を突き抜け、おそらく、刃折れもせずに、まっすぐに肺を貫き、心臓に向かっている。
彼の臓器を刺し抜いて内臓出血して・・・。
小刀の隙間、わずかな皮膚の切れ目から血が吹き出していた。
この時代で、どうしたらいい。
むやみに刃を抜いても大量出血になる。かといって、このままでも内臓損傷で長くは持たない。もって数日、その間、苦痛を長引かせるだけだ。
私は医師ではないが、どういう状況かはわかった。
21世紀なら、圧迫止血をしながら救急車を呼ぶ。未来なら、助かる可能性もあるだろうか。いや、この絶望的な状態でも現代医学なら救うことができるだろうか?
おそらく救急病棟でベテランたちが必死の努力をしても難しいのではないか・・・
雨が降っていた。
頭のなかをさまざまな感情と思考が瞬間的に巡っていた。
ヨシは雨に濡れた土のうえで両足を開いて座り、呆然とした顔で口を開けている。自分のしたことがわかってない。彼女はなにもわかっていない。
どう弥助を救う?
私に何ができる?
外科手術などできる医者はいない。奇妙な魔術やほとんど根拠のない治療がまかり通っている時代だ。いっそ、私のほうが詳しいかもしれない。
輸血することも、刃が裂いたであろう腸や血管や肺を止血するために縫合することも、消毒薬も、抗生物質も、麻酔も、そして、清潔な布すらなかった。
弥助の顔を見た。
苦しげに顔を歪め、言葉もなく、そして、小刻みに震えている。
大正生まれの弥助は我慢強い。声を漏らさずに耐え難い苦痛を我慢しているのだろう。いたづらに長引くだけの苦痛に彼は必死に耐えていた。
指が奇妙な形に固まり強張っている。
「苦しい?」と、聞くと、彼はかすかにうなづいた。
「わかった、弥助」
私は弥助の顔を見た。
唇を噛み、それから、耳元で「ありがとう」とささやいた。
体を起こして、彼の目を見た。
弥助は理解した。そして、薄くうなずいた。
大きく息をつき、私は小刀の柄を両手で握ると、心臓の位置を確認した。
そして、全体重をかけて一気に押し込んだ。
「グホッ!」
弥助の口から吠えるような悲痛な音がした。
大量の血が口から吹き出した。
それでも、彼はなにも叫ばなかった。
一瞬だけ目を合せ、それから大きく見開くと表情を失った。
軽く痙攣した。
しばらくして、久兵衛の腕のなかでぐったりした。
弥助・・・・・
長いつきあいではなかった。長くはないが、濃い時間だった。刀根坂の戦いで、その悲惨さから逃げた私を、彼は守り抜きオババの元まで届けてくれた。
夜、薪をひろって、ふたりで食べながら未来の話をした。
彼は無口で純朴だった。
「アメ殿はおもしろいなぁ」と、彼は素直に笑った。
いつもいつも必死になって、私の乗る馬を引き、そして、全力で走っていた。サボろうとか考えもしない人間だった。
「なぜだ、久兵衛」
私は低く呟いた。
「なぜ、お市を襲おうとした」
「わ、わしは・・・」
彼は弥助を抱いたまま、雨のなかで泣いているように見えた。
あいていた手で鼻をこする「こんなつもりではなかった」と呟いた。
「なぜだ、久兵衛」
「・・・」
「なぜだ!」
雨は止みそうにない。地上に降り注ぎ、水たまりをつくり、弥助の血を洗い流していく。
「わしは・・・、甲賀の村の一つに生まれた。六角殿に味方した我らの村は信長によって全て焼かれた。観音寺城の戦いで、親も兄弟もみな死んだ・・・」
観音寺城の戦い。多勢の織田軍の前に城は無血開城され、六角氏は甲賀の里に逃れた。1568年のことだ。その後、信長は抵抗を続ける六角氏を破る。その過程で、彼の村は全滅したのだろう。
「わしは、だから、奴が大事にするもの、すべてを奪うと誓ったのだ」
私は弥助の顔についた血をふいて、瞳孔の開いた目を閉じた。
「オババ」
「ああ、行こう、アメ」
「どこに行くのだ」と、久兵衛が聞いた。
私は返事をせず、オババの顔を見た。
「行こう、オババ」
仲間のトミがどこからか戸板を探してきてくれた。
弥助を戸板にのせると、私たちは二人で引いた。
「何をするんだ」と久兵衛が叫んだ。
「ついてくるな!」
織田信長という男
しとしとと駿雨は降りつづけた。
遠雷の音が小さく聞こえてくる。雷が近づいているのだろうか。
これは夏の終わりの通り雨なのだろう。
戸板に乗せた弥助を引きづりながら、オババとそんなたわいのない話をしながら歩いた。
織田軍の前線基地である砦でつくと、信長の従者を届けにきたと伝えた。しばらくして勝ち戦にわく砦のなかに通された。
信長自身が待っていた。
「弥助が死んだのか」
「お市の方さまを守って亡くなりました」
「うむ」
「お願いがあります」
「なんじゃ」
「彼を奴隷の下人としてではなく、一人の侍として丁重に葬っていただきたい」
雨のなか、血で汚れ、ぼさぼさに乱れた髪のまま、信長はうなづくと近くにいた従者に指示した。
そして、翌朝、私は清潔なベッドの上で目が覚めた。
ー完ー
戦国時代の仲間たち
アメリッシュ:現代から戦国時代のマチという貧しい庶民に意識が転生した私。歴女なのでこの時代のことをよく知っている。未来を読むことができると思われ「巫女」とも呼ばれた。
オババ:戦国時代のカネという貧しい庶民に意識が転生した私の姑。カネはマチの母親であり、だから戦国時代では実母という厄介な関係である。
弥助:昭和初期、226事件の前日に意識が戦国時代に転生した大正生まれの未来人。転生したときは奴隷商人に捕まっており、そのまま奴隷として織田家に売られる。その後、私の下人になる。
ヨシ:久兵衛と同郷の女、彼に恋している。
トミ:足軽仲間。