アメリッシュガーデン改

姑オババと私の物語をブログでつづり、ちいさなガーデンに・・・、な〜〜んて頑張ってます

今日は”母の日” 映画『BAGDAD CAFE』

今週のお題「会いたい人」

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残った毛糸玉

 

家は、穏やかな休息をむさぼり、深い静寂のなかに眠っていた。

 

午前2時0分。

夜中に気配を感じて目覚めたのは、眠りが浅いのだろうか、それとも何かを感じたのだろうか。

 

私はベッドから冷たい木肌のフロアに、はだしの足を下ろし、

・・・・・そして、階下に向かった。

 

5月だというのに雨が降ったせいか、家全体の空気はひんやりしていた。

 

1階に下りると、そこでロッキングチェアにすわる母を見つけた。

 

午前2時2分。

 

母が木製の古いロッキングチェアに座り、器用に、忙しそうに、小さなシワの寄った指を動かして白いセーターを編んでいる。

 

ロッキングチェアにはいつもの軋み音はなかった。

静かな時に、ゆらゆらと形が揺らぐ。

 

母は無心に編み物をしている。

器用に編み棒を動かし、白い毛糸玉を紡いで、ケーブル編みの白いセーターを手際よく作りあげていく。

 

明かりの消えた部屋。

何度も何度も明かりが消えた部屋。

何千回もの何万回もの夜を経た部屋。

 

『かあさん、もう遅いわ』

半分寝ぼけながら声をかけようとして、言葉が唇にのぼらずに口元でかき消える。

唾液が舌を濡らしただけで、喉元で言葉がとどまる。

 

外では街灯がともり、春の風が夜露を吹き飛ばしながら吹き抜けているだろう。

この時間ならば、シーンと静まりかえった住宅街に歩く人もいない。

 

さきほどまで浅い夜を過ごして私の心は痺れていた。

 

さして必要もない水を飲もうと階下に降り、

リビングルームの手前で立ち尽くす。

母の紡ぐ糸に魅せられ、いつまでもそこに立ち止まる。

あれは、私の白いセーターにちがいない。

 

編みあがったとき、私は言った。

 

「ほら、かあさん、サイズが違うわよ。丈が短かすぎて着れないわよ」と。

「そお?」と、母は少し拗ねたような表情を浮かべる。

「でも、ほら、ちょっと伸ばせばね」

「だめよ、そんないい加減なの」

 

母は傷ついたかもしれない。

私は慣れからくる傲慢に気づかず、いつも甘える。

 

母の指は、まるで機械のように動き続ける。

丸い毛糸玉がくるくる廻り、私はその糸をいつまでも見ていたかった。

 

午前2時11分・・・

 

古い時計はゆったりと時を刻み、午前2時11分を指して止まる。

「かあさん、夜は冷えるわよ」

 

私は母の座る椅子を通り過ぎ、キッチンに向かい、水道の蛇口から水を受け、少し口に含む。

それは苦いような悲しいような味がした。

 

振り返りたくなかったけど、

母が座っていたはずのロッキングチェアに視線をなげた。

そこには白い毛糸玉がころがっている。

母はいない。

 

あの白いセーター、どこへいったんだろうね。

 

私、どうも失くしてしまったみたい。

母さんは・・・

本当に、どこへ行ったんだろうね。

 

午前2時11分、丑三つ時。

 

母さん・・・

涙が止まらない。

涙が止まらないよ。

 

 


BAGDAD CAFE - I'm Calling You

 

今日のわりとお勧めはしない映画『BAGDAD CAFE

 

こういう難解な映画は苦手ですが、しかし、映画音楽として使われた「I'm Calling You」。この曲をはじめて聞いたときは衝撃を受けました。

 

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