作家サマセット・モームは女嫌いのスパイだ
「僕は20歳だった。それが人生でいちばん美しい年齢だなんて誰にも言わせない」
私は20歳になったばかりで・・・
ポール・ニザン『アデン・アレン』の、この言葉に酔いしれるような年頃でもあって、英国人作家のサマセット・モームを心から愛していた。
彼がゲイで、女を毛嫌いしていたにもかかわらずに。
それにしても毛嫌いか? 感情の揺れ幅が大きい男であるから、おそらく人間嫌いだったのは間違いない。だから、当然、私が好きになる理由はないし、嫌いになってもいいはずだ。
20歳という年齢で、私は大人と子どもの中間にあり、少しだけ生きていくのに、うんざりしていた。たぶん、そんなところがモームとの接点だったと思う。
それから長く生きてきたが、結局のところ、大人と子ども中間であることに変わりはなく、生きていくのに、少しうんざりしていないだけのことだ。
なぜなら、うんざりするには残る時間の方が短い。人生80年と考えれば、もううんざりするほどの時間が残されていない。
結局、大人と子どもの差は残された時間の長短しかないのかもしれない。
ともかく、年齢を重ねれば、悩みがなくなるなんて大嘘だ。無益なおばさんの中身は20代と代わりがなく、人生で一番美しい年代なんてないってことだけは、理解できるようになっている。
さて、19世紀に活躍した英国作家サマセット・モーム。
文体は平明でわかりやすく、ストーリー性豊かで、当時は通俗作家と評されていた。
彼の人間に対する目は常に横から目線で、残した言葉もシニカルだ。
おそらく子ども時代に両親を亡くし、裕福な生活から奈落の底に突き落とされた波乱の人生から得た皮肉なんだろうが。
『愛とは、お互いに相手を知らない男女の間に発生するものである』
結婚して数年もすれば、この言葉を真に理解できる。
『人は批評してくれというが、称賛を欲しているだけである』
私のブログ生活そのものを表している。
時にアンチコメントを望むという、恐ろしく鋼の心を持った人物のブログに遭遇する。更に、アンチいらっしゃいという英雄のような人物もいる。まるで風車に挑むドンキホーテのようだ。
遠慮なく批判してほしいなどという壮烈な覚悟、この犠牲的精神は尊敬に値する。しかし、こんなのを前例としてほしくないと私は思う。決してダメだ。
私の立場を、はっきりさせておきたい。
もし、もしも、この初心者に毛の生えたブログをお読みになって、批判めいた気持ちが起きたとしても、そして、それは必ず起きると確信するが、どうか、大人として、あなたが墓場に行くまで心に秘めておいてほしい。
そして、マザーテレサのような鋼の強く広い心で、ブログへの惜しみない賞賛をお願いしておきたい。
私はそれを読み、子どものように疑う心を持たずに信じ、有頂天になりながら、ブログを続ける糧とするから。
さて、今では文豪とか言われるが、モームとは、そんな奴だった。
賞賛を求め、人を嫌い、自分に閉じこもり、そして、生きづらい人生を送った男なのだ。
彼は、父親がイギリス大使館員で、母親はパリ社交界の花形という華麗な両親のもと、フランスで生をえた。しかし、両親が相次いで亡くなり、10歳で孤児になる。
成長して医師となり、第一次世界大戦では軍医に、ほぼ同時にイギリスの諜報機関MI6にスカウトされた。どうも喜んで自ら危険に飛び込む、そういう男だったと思う。
1917年には来日もしている。それはロシア革命が起こりソビエト連邦が誕生する時期で、つまり大正時代に日本へ来たことになる。
ラッフルズホテルシンガポールと作家モーム
モームは生涯、旅をしていた。
シンガポールのラッフルズホテルを愛し、長期滞在したことでも有名だ。
「ラッフルズ、その名は東洋の神秘に彩られている」というのがモームの言葉で小説の舞台にもしている。
歴史的建造物オタクである私は、どうしても行きたいホテルの筆頭がラッフルズホテルであって、数年前、頑張って行ったのだ。
ラッフルズホテルに宿泊した感想ランキング トップ7
はじめてのシンガポールは、風が熱して重かった。
南国というより、汗がまとわりつくような湿気と痛いほどの太陽にゲンナリしながらも、ラッフルズの正面玄関に立ち、そして、感動した。
その滞在時のホテル ランキングは次の通り、かなり偏見に満ちているから、「ごめんなさい」って小声で謝っておく。
7位 ラッフルズドアマン
(大吉 (id:best-luck)さん、ご依頼のイラスト、書いてみた。がんばったよ!)
ラッフルズといえば、このドアマンが有名。
でもぜったい1位にしない。何があってもしない!
シンガポールで最も写真に撮影される人だそうで、私たちも撮影をお願いした。
植民地時代のイギリス軍の軍服をデザインしたという真っ白な制服はギープス&ホークス製。
*ギーブス&ホークス* 英国王室をはじめ、ウィンストン・チャーチルなど世界中のエグゼクティブに愛されるブランド。マジ高い高級ブランド。
「ラッフルズホテルを象徴する白のターバンを巻いたドアマンたちは、いつでも笑顔でお客さまを出迎えているのです」と、ホテルを褒めちぎる記事に書いてあった。
信じたよ、その言葉。
このドアマン、ホテル前に1人しかいない。そして、ものすごく大きい人だ。ターバンみたいな白い帽子をかぶり、太鼓腹もでかい!
私たちはセントーサ島から帰ってきて、そして、写真をお願いした。だから、宿泊者と思われなかったのかもしれない。
だから、感じが悪かった!
それほど、ラフな姿だったか?
おう、そうだともさ、ラフな格好してた。なんせ、セントーサ島からの帰りだ。腰掛け自転車で、山から猛スピードで降りる乗り物で、汗だくで疲れ切っていた。
しかし、どんな相手にも、いつでも笑顔で出迎えるんじゃないのか。
翌日、超ドレスアップして、ワンピースの裾をヒラヒラさせながら、ドアから華麗にでてきたら、愛想がよかった。
Gieves & Hawkes着のドアマンのおっちゃんよ。
誰にたいしても、分け隔てなくって大事だと思うよ。
だからさ、思いっきり鼻持ちならん女を演じて、斜め上から目線で眼中にないって態度で通り過ぎてた!
私も大人げないことこの上ない。
たぶん、ドアマンと同じレベルだ!
6位 正面玄関からの建物の風景
写真をご覧ください。言葉は他にいらないと思う。
今も残る19世紀建築は少なく、大変に貴重なコロニアル風ホテルであって、華麗な外装と豪華な内装である。しかし、周囲には近代的で無機質な高層ビルが立ち並んでいる。その落差に残念感が残る。
もう随分前に、サマセット・モームの時代は終わったのかもしれない。
5位 歴史
1987年12月、イギリスの植民地時代に開業したホテル。
その面影が随所に残っている。
開業当時、ラッフルズホテルは欧米人にとってオアシスであり、アジア冒険の拠点だった。
『シンガポールの旅でラッフルズに泊まるのが、冒険家たちの間で通過儀礼となっていた』とホテルでは案内している。
『冒険家たちは別れ際に「では、ラッフルズでお会いしましょう」と挨拶を交わしたものでした』だそうだ。
しかし、歴史はもうそれを必要としていない。
シンガポールは発展し、冒険する場所ではなく全体がリゾート地と化している。
4位 回廊
部屋から出ると、そこにはコロニアル様式の回廊がある。
各部屋の前には、椅子とテーブルがあり、中庭を眺めることができる、ここでしばしモームの気分に浸った。
3位 プール
ホテルが建築された当時は、また周囲に高いビルもなく、おそらく、モームは海を見ながら、プールのひと時を過ごしたのじゃないか。
プールは空いてる。
朝も昼も夜も空いてる。誰も泳ぐ人はいなかったので、スタッフを独り占めできる。
バーもあり趣のあるプールだが、シンガポールの発展で、周囲は高層ビルが立ち並んでいる。
ということは、そう、ご想像のとおり。
ビルの間に挟まって、高層ビルの窓から、もれなく見える場所にプールがあるということだ。
プールのベンチに横になると、ビジネスマンが働いているだろう高層ビルの明るい窓を見ることができる。
優越感に浸るか、申し訳ないと思うかは、その人それぞれだろうが、私はなぜか罪悪感を覚えて長くはいられなかった。小市民です。
2位 朝食ブッフェ
本当に贅をつくした素晴らしい食事。
料理数も多く、なにを食べるか迷う。
卵料理が有名らしく最初に注文するが、その必要がないほど品数の多い料理が並んでいる。
ここのハチミツは特別だった。
ミツバチの巣をそのまま縦割りして、そこから流れでているハチミツ。それをスプーンですくって別容器に入れていただく。このハチミツの美味なこと。
熊のプーさんになった私。蜂の巣の縦割り、そのまんま持って帰りたかった。もしかして、私のなかにモーム効果が発動してたかもしれないけど、素晴らしい朝食だった。
1位 部屋
あ、そうだ。ドアマン以外のスタッフ。
みな、とても感じが良かった。
一流ホテルのたしなみが随所にあって、部屋も選ばせてくれた。一緒にラッフルズ内を案内してくれた。
若い女性スタッフ、「お好きな部屋を選んでください」って。
最初は、サマセット・モームの部屋を予約していたが、
「日当たりが悪く、おすすめできないのです」って彼女にいわれ、確かに見ると薄暗かった。結局、チャーリー・チャップリンの部屋にした。
部屋の天井が高い! 日本の部屋の2階建くらいありそうな天井の高さだった。
これまで泊まったホテルのなかで一番天井が高い、たぶん。
数字で比較してないけど、たぶんそう。
部屋は回廊に面して、入り口のドアを開けると、6畳くらいのフロントスペースがあり、その向こう側にメインルーム。
チャップリンの写真が飾ってあり、ここであの喜劇王が寝ていたのだと思うと感慨深い。
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ラッフルズホテル 、噂にたがわない素晴らしいホテル だった・・・
と、書きたい。
愛するモームのためにも書きたい。
素晴らしいホテル には違いないが、なぜか最高級とは思えなかった。
子ども時代に憧れたディズニーランドに大人になって行ったとき、来るのが遅かった。そう思ったあの感触に似ている。
時もすぎ、自分も変化して、その感情も移りゆき、あるのは過去の残骸、なぜか物悲しい思いが残る・・・
ラッフルズホテル は、しばらく改装中だったが、今年の8月に再オープンした。