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【米国史とアメコミ】映画『バットマン』とドラマ『ジョーカー』。そして、時代に消えたバットマン原作者

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映画『ジョーカー』10月4日公開

 映画『ジョーカー』の孤独。生きづらい時代の主役とは

 

映画『ジョーカー』の評判がいい。

 

ジョーカーはバットマンの永遠の悪役にも関わらず、いわば日陰者の存在にも関わらず、漫画キャラ誕生から1世紀を経て主役の地位を獲得したようだ。

 

アメコミ原作映画の実写版として初のアカデミー賞候補となりそうな勢いなのである。(*アメコミ:アメリカン・コミックスの略) 

 

ハリウッド映画界で、アメコミ作品がアカデミー賞を受賞するという衝撃は、例えて言えば、漫画「ナルト疾風伝」が『直木賞』を受賞する衝撃に似ていると思う。もし、受賞したらという話ではあるが、その前哨戦であるベネチア金獅子賞を得ているのだ。 

 

アメコミの悪役がスポットライトの中央で輝く、これが2019年という時代の象徴かもしれない。

 

否応なく社会からはじきだされていく、目に見えない障害を持つアーサーという男の、生きづらさと孤独・・・

(*アーサー:ジョーカーになる前の名)

 これが現代の世相を反映しているのだから、ちょっと、かなわないなって思うのは私だけだろうか。

 

悪役には悪役になるしかない悲しい動機があるというのは、いかにも現代的なテーゼであり、こうした悪に染まった言い訳を解説した感動映画にスポットライトがあたる時代にはちがいない。

 

バットマン』が生まれた80年前の時代は、悪を悪として描いていた。そんな単純な時代は終わりを告げたということだろう。

 

バットマンが正義の味方だった時代には、子どもたちが疑うことなく手に持った剣で悪玉をやっつける。その時代にジョーカーが主役になる舞台はなかった。

 

2019年は、ジョーカーが脚光をあびる時代であり、そこに生きる私たちは、幸福な時代に生きているのかといえば、それは複雑な思いを抱くしかない。

 

な〜んてなこと書く気は毛頭ない、全くない!

 

ジョーカーが脚光を浴びるに至った理由は、過去に市民権を得ていた奴隷制度や人種差別を戦い、困難のうえに撤廃した勝利と高揚感が、更に、その旨味を求め、横道に逸れた結果ではないだろうかと言いたいのだ。

 

わかりにくい書きようになっている。

奴隷解放制度や人種間差別撤廃は正しいことだった。

こうした成功例は、一面として不思議と上の、その上の成果を求めたがると言いたいだけである。

 

私たちは過去に持った価値観の間違いを正し、その土台を壊すことに熱心になった挙句に、土台そのものを失い、とにもかくにも脆くバランスを欠いた世界に生きている。

 

悪役も人間だと認めることは、正義が危ういという事実の裏鏡であって、それには途方にくれるしか方法がない。椅子にすわり頭を仰け反らせ、ふうっとため息をつくしかない、そうした戸惑いである。

 

現代が不安定なのは、確固とした正義を失ったからで、そして、それは正しいことをした結果から得たエンディングという、相反する矛盾に戸惑うばかりである。

 

 

バットマン』がヒーローとして出てきた1939年という時代と、愛国心に萌えるアメリカ人

 

1939年9月1日、ナチスドイツのヒットラーポーランドに宣戦布告、時代の閉塞感が一気に爆発することで、第2次世界大戦が勃発した。

 

当時、アメリカのルーズベルト大統領は反ファシズムをかかげ、英国と歩調を合わせたがっていたものだ。しかし、反対に米国民は戦争に膿んでいたのである。

 

遠いヨーロッパの戦争よりも、日々の平和。

第一次世界大戦が終わったばかりであったのだ。

 

1919年の戦争終結は、ほんの20年前の出来事だった。まだ肌で感じるほど生々しい感覚を、当時の人々は持っていたにちがいない。

 

日本の真珠湾攻撃は、そうした中で決行された。まあ、言ってみれば飛んで火にいる夏の虫のような、そういう行為であった。

 

「リメンバーパールハーバー」は米国民の愛国心に火をつけ、第2次世界大戦に突入する大いなるスローガンになっていく。

 

ルーズベルト大統領にとっては、ほくそ笑むような事態であったろう。あるいは、そこへ持っていくための日本の海上封鎖であったかもしれない。

 

さて、余談はさておいて、バットマン

真珠湾攻撃の数年前に戻ろう。

 

世界恐慌後の米国では労働ストライキが頻発していた。

 

ナチスポーランドに突っ込んだ1939年。

リエーターとしてボブ・ケインが『バットマン』というニューヒーローをDetective Comics(略:DC、訳:探偵コミック誌 米国の漫画出版社)に登場させた。

 

登場と同時に、バットマンは人気になり翌年にはコミックが発刊される。

この当時のバットマンは、今から比べれば正真正銘の正義の味方だが、当時のヒーロー像からすれば、かなりダークな側面を持っていた。

 

大富豪ではあるが、両親を子ども時代に殺された気の毒なヒーロー像。

 

彼は銃をつかって悪人を殺した。

悪党をビルから次々に投げ落とした。

 

これに噛み付いたのがアメリカ国民である。

今から思えば、なんとナイーブな国民性であったことか。

 

ピューリタン精神を土台にもつ米国民にとり、銃を撃ち、悪人を殺すヒーローは子どもに悪影響を与える。つまり、ヒーローとして失格であったのだ。

 

バットマンの1年前に登場した完璧なヒーロー『スーパーマン』こそがあるべき姿であった。

 

それが1939年という時代の空気である。

 

現代からすれば、そんなの当たり前でしょって思えることが、当時は反社会的であったのだ。『進撃の巨人』など、公の雑誌には載せられなかっただろう。

 

美しく正しく生きるというファンタジーを信じた時代ではあったが、しかし、裏側ではナチスが進行し、バットマンの真の作者は隠されてた。

 

 

バットマン』の真の創作者は75年間も隠されていた!

 

バットマンは実際のところ、作家のビル・フィンガーにより想像されたヒーローであったのだが、表舞台に出たのはクリエーターであるボブ・ケインという、どうしようもなく品位に欠けるが、目立つことの、この上なく上手い男であった。

 

いわば、自分の手柄は自分のもの。部下の手柄も自分のものという残念な人間性は、いつの時代にもいる人間像であって、こういうタイプを厚顔無恥とでも言うのだろうか。

 

ボブ・ケインバットマン作者として、すべての収入も栄光も自分のものとしたのである。

 

実質の作家は晩年、一文無しとしてこの世を去っている。

 

過去に、Huluで『Batman & Bill』というドキュメンタリー番組が放映された。

 

ここでは、熱狂的ファンくらいしか知らなかった原作者の事実を暴いている。実際はビル・フィンガーという作家が、バットマンの骨組みを作ったのであって、ボブ・ケインではなかったのだ。

 

バットマンの作者がボブ・ケインという虚実

 

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作者ボブ・ケインという名前が掲載されているバットマンの漫画

数々のバットマンの漫画その他には、『by Bob Kane』というクレジットだけが掲載されている。

 

正義のために戦うバットマンの作者がボブ・ケインというハデ好き、今でいう陽キャラになった理由も、また、その時代に影響されていた。

 

コミックス黄金時代1950年代から衰退期に向かう1960年前後には、出版界がショーマンであるボブ・ケインを原作者として必要としていたという、まぎれもない事実がある。

 

陽キャラとは正反対の陰キャラであった故ビル・フィンガーは時代に弾かれる運命であったようだ。

 

時代が求めるまま、ボブ・ケインは表舞台のマスコミに、バットマンマスクで登場するという派手なパフォーマンスを行い、さらに自叙伝まで発表している。

 

彼の墓碑銘には、こう書かれている。

ボブ・ケインブルース・ウェインバットマン──彼らは1人であり、同じ人物だ」

 

一方、影で、ビルは黙々とバットマン創作のために、ひとり町を歩き、情報を収集し、資料にしてバットマンを書いていた。文字通りのゴーストライターである。脚光を浴びるボブの陰で、生前、彼がインタビューを受けたのはたった1回であった。

 

このバットマン作者論争に終止符をうったのは実に2015年。DCコミックスワーナー・ブラザースが「真の作者」を認めるまで、75年という年月が必要だったのである。

 

そして、2019年、陰キャラで生きづらいジョーカーがスポットライトを浴び、タバコを吸い微笑んでいる。

 

なんとも皮肉なことだと感じるのは、私だけだろうか。

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