1569年、京都、二条城にて
足利義昭が引っ越したばかりの二条城。
足をとめた下男が同郷の男をチッと舌打ちしながら呼び止めた。
「おいおい、ここだけの話だけどよ、足利義昭、信長を首にするってさ」
「殿を呼び捨てかよ」
「そんでええわ」
「どういうことだよ」
「ええか、ここだけの話だぞ・・・、信長のやつ、むちゃくちゃ小うるさいって話でな。義昭がよぉ、そうとう苛立ってる。あの坊ちゃん殿さまに、当たり散らされるこっちはいい迷惑よ」
「そうか、うるさいか?」
「うるさい」
「信長のやつ。小さなことにいちいち文句つけてくるんだぜ。小姑かって話よ」
「ほう」
「例えばな、勝手に大名どもに手紙を出すな、出すなら信長を通せとか、殿中で使う金が多すぎるとか、なんとか、そんな掟を16個も言ってきたんだってよ。おかげで、義昭がブチギレて、えらい迷惑だよ。その辺のモノなげまくって、障子やぶって、いったい誰が片付けると思ってんだ」
呼び止められた下男は頭をかいた。
「あの将軍のほうもズレてっからな。自分の立場ってもの理解してない」
「そりゃ、仕方ねぇ。名門中の名門だ。父は第12代将軍だしな、母は公家の近衛家出身。信長は尾張のイナカ大名にすぎんだろ。それが殿中御掟16か条や殿中御掟追加5か条やらで、じわじわ手足しばってくるからな」
こんな囁き声が城内で聞こえるほど、ふたりの関係は冷えてきていた。
「ああ、あの噂の御掟か。俺たちもよ、それで面倒な手続きが増えたってとこよ」
「殿のプライドぼろぼろ。利用するつもりが、すっかり利用されたわけで、まあ考えればムカつきもするぜ」
「け、アホかよ。自分の立場ってのをいつまでも理解できずに、昔はこうだったなんて、権力もないのに、逆らうからアホなのよ。それに金使いすぎ、それもよ、すべて信長の金だぜ」
「おめえ、それ言っちゃおしまいよ」
「でよ、義昭、信長との仕事やめるってさ」
「まずいぜ、それ、かなりまずい」
「なにがまずいのや?」
京風のアクセントが背後から聞こえ、ふたりはぎょっとして、その場に平伏した。
「あ、あ、あの・・・」
「な〜にが、まずいのや」
「なにが、まずいって、あのな」
「あ、はあ、あの、お夕餉がまずいと」
通りかかった上位の者はギロリと睨むと「ほうか」と言ってその場を去った。
「辞めよう」
「ああ、辞めよう」
「仕事は」
「信長公のところに転職しようぜ」
「お、おう。そうしよう」
仕事を辞めるタイミング:
いつの時代も可能なら仕事は転職先を決めてからにしましょう。
特に戦国時代などの場合、餓死者も多く、食べていくこと自体が難しい。転職先を間違えると命にかかわります。
部下としての信長
信長は明確なビジョンのあるボスでありました。
彼が旗印にあげたのは「永楽通宝」。
旗印って、戦場であげる旗で、こんなこと考えながら戦っていますって戦国時代の広告塔であります。今なら、社是とかビジョンとかそうしたものです。
信長のビジョンはわかりやすいです。
旗印は「永楽通宝」。なんと銭ですがな。
物流の基礎である通貨を旗印にして、下々のものから上位のものまで、金のまわりをよくして経済を復興するぞと、彼のビジョンをわかりやすく旗印にしていました。
「いいか、経済だ。経済を活発にして誰もが食える世の中にするぞ! 国を豊かにするぞ!」
わかりやすいです。
100年の戦乱が続いた時代です。
現代でも争いが絶えず難民が増え続けている国、たとえばシリアの現状等を考えればわかります。食べれることが最優先の時代で、天下とって食べさせるぞと庶民に伝えたんです。
この時代、戦争が状態化し経済は疲弊し、農民は田畑を荒らし、そして、一般市民の餓死者は増えました。
「寿命図鑑(Amazon)」のデータによると室町時代の平均寿命は15歳。
どの時代に比べても低いです。
*室町時代とは足利尊氏が鎌倉時代のあとに築いた朝廷で、その100年後に応仁の乱がおき、その後、戦国時代へと雪崩こんだ時代のこと。中盤からは100年近く戦いばかりしていた時代です。
経済をビジョンにあげた信長のミッションの一つが京都への上洛。
戦乱を終わらせ、天下を統一して、経済を発展させるというビジョンを持ち、足利義昭を担いだ。そのために命をかけて、がむしゃらに働いた。血も金も流して必死で勝ち取った。
そして、現代の企業がお飾りの取り締まり役を得るように、足利義昭は象徴として立てたんであって、実権など必要なかったわけです。
ところが、1568年に悲願の上洛をして、将軍職についたミッション道具が浮足だって、ビジョンをかってに掲げはじめた。そりゃ信長側から考えれば誠に遺憾(いかん)な状況であります。
仕事を辞めるタイミング:
歴史の長い大企業は仕事自体が硬直しがちで、先例主義がまかり通ります。
いわゆる上層部は成功体験から抜けられない。変化の激しい時代、歴史の変換期には、こうした一流企業が20年後に、あなたの生活を保証できるかといえば、難しいのが現実です。
どこで見切りをつけるかは、企業が潮流に合ったビジョンを持つかどうか、それを達成する空気があるかです。
もし、あなたが戦国時代に生きていたら、歴史はあっても力も将来性も低い殿の下となれば、逃げるしかなく、それを見極める目は命にかかわってきます。
トップとしての将軍足利義昭
信長担いだ室町幕府の跡取り将軍、足利義光は全くビジョンを考えてなかった。彼の思考は室町幕府の再来しかないんで、天下統一、そりゃいいが、自分がトップにあって命令する天下、それも足利家の再興が彼の命題だったんです。
同じものを継続しても、100年続いてしまった戦国時代は終わらないと気づいていない。超大企業の改革が難しいのと同じであります。
この滑稽な勘違いは、現代でも同じことを繰り返します。先例を守りたい守旧派と、このままではダメだと思う改革派。両極端の争いはよく見る光景であります。
さて少し話を戻して1569年1月、京へ上洛して本圀寺に落ち着いた義昭将軍。
三好三人衆に攻められ、大変な思いをした。
「寺では防衛が低い、御殿を建てましょう」
そう信長に言われたときは有頂天だった。堅牢な防御塀に守られた二条城を建ててもらい、引っ越して大喜び。
そこで、足利義昭の家臣たちは悩んだ。 どう恩賞で報いるかです。
「どないすん」
「どないすん」
「京へもどれて、城も作ってくれはった」
「ここは先例通りに、なんぞ称号を与えて褒美をとらせなあかんな」
「何がええ」
「父ってのは」
宮中で旧態依然とした幹部たちが、頭寄せ合って相談した結果の最高の案が
「お父さま!」
正式には「室町殿御父」という称号を作って、1537年生まれ32歳の義昭が、35歳の信長を父と呼ぶ。
おっさんずラブかい!
称号を与えとけば良いとだけで誰も疑問に思わない、こうした膠着した脳が、結果として、信長との仕事を辞める結果になったんで、蜜月、あっという間に崩壊しました。
義昭が勝手きままに恩賞などあたえ、それも織田信長の金を使う使うで、それに苛立った信長が作ったのが殿中御掟16か条や殿中御掟追加5か条。
殿中御掟の内容を要約すれば、何事も信長にお伺いを立ててからしろ、特に勝手に金を使うな、でありました。
義昭さん、もう少し大人の対応してよって内容なんであります。
ほぼほぼ天下を統一して、
信長はこれから経済の発展を中心とする自分が回す世界を考え。
義昭は将軍として自分が天下に命令する、過去の世界を考えていたんです。その結果、ふたりは決定的な決裂をします。
義昭がおとなしく操り人形としての立場を理解していたら歴史は変わっていたでしょうか。
仕事上での自分の能力を勘違いすると、あとでしっぺ返しがきます。プライドや過去にこだわる先例主義は、いつの時代でも時代遅れになりがちです。
仕事を辞めるタイミング:
勢いのある新興企業に転職した場合、仕事は苛烈を極めます。ただし、出世もはやく見返りも多い。
会社が成長すれば若くして重役となれもしますが、倒産する危険もあり賭けです。ブラック企業である可能性も高い。
こういう会社に就職した場合、将来的な展望があるかどうかが辞めるタイミングを決めることになるでしょう。
特に、戦国時代の場合、仕える殿を間違えるとお家断絶も多く、しょっちゅう路頭に迷うことになるので、慎重に見極める目を持つことは大切です。明智光秀は、その目で義昭を捨て信長を選んだのです。
*内容には事実を元にしたフィクションが含まれています。
*登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢を書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。
戦国時代を扱ったNHK大河ドラマ『真田丸』
2016年1月10日から12月18日
脚本:三谷幸喜
簡単なあらすじ
前半、幸村の父真田昌幸がとても良かったドラマです。草刈正雄さん、印象的でキャラが立っていました。
武田家の家臣であった真田家は、武田信玄の死後、豊臣家に使える。
実際の史実では、真田幸村の名前があがったのは、豊臣側として関ヶ原の戦い、大阪の陣を戦ったところだけです。
ドラマは史実上にはない、武田に仕える前から、徳川を相手に奮闘するまでを描いています。
家康を追い詰めた勇猛な武将として現代には知られています。
❤️ ❤️ ❤️
【原稿依頼が来ました!】という一昨日の記事につきまして、皆様から、いろいろな暖かいコメントをいただき泣きそうになりました。本当に本当にありがとうございます。改めてお礼を申し上げます。
ちょっと風邪を引いて、2日ほどブログから遠ざかっていて、返信が遅れ申し訳ございません。
本当に、『はてなブログ』をしていて良かった。半年前までは、こんなふうに皆様とつながっていける世界があるとは考えもしませんでした。
みなさんと知り合えて本当に良かった。とても嬉しく幸せです。これからもどうぞよろしくお願いします。